人間を叩きのめす

おれがクソ人間どもを叩きのめすまでに日々思ったことや考えたことをダラダラと綴る程度のブログ

20160521

 

過ぎ去りし2016年5月21日。

 この日はひたすら英語の勉強をしていた。新幹線のチケットを買いに行き本屋で目ぼしいSFをチェックしつつ夜の2時まで英語を勉強していたらブログを書き損ねた。恐るべし集中力

 海外ドラマ視聴は英語学習に入りますか?入らないと思います。

 

 しかし自分の世界を広げるために見るのは良いと思う。子供に対する考え方の一つに、「若いうちは世界の広さを知り、年老いていくにつれて世界の狭さを感じるべきだ」と考えているんだけど、親の言うとおりに生きてきてその世界しか知らないまま年老いてそこで偉くなってふんぞり返ってる盲目的な(この言葉に”目が見えていない”だけでなく”見ようとしない”という意味が含まれていればいいのだけど!)元子供よりも、あらゆる知識を吸収しつつ養った自分の価値観や五感で世界を感じられるようになった方が良き選択の支えになる可能性が高いからだ。

 おれは様々な人の言葉に生かされてきているけど、高専の卒業間近、卒業研究報告会の時に「君たちは確かにこの世界を知り、生きていくための基礎を身に付けた。しかしそれで十分と思ってもらいたくはない。この世界を感じる能力が養われた今でも世界の最先端というものがどこにあるか分かる者は少ないだろう。私は一時期そこで勝負する技術者だった。そこでしか知ることができない物事が沢山ある。君たちの一握りでも良い、是非今後も努力を積んでもらい、世界の最先端との隔たりを感じ、そこまで登り詰め、世界に勝負を仕掛け、一番になることを目指してもらいたい」のようなことを言われた。本当にありがたい言葉だ。この言葉を殺したくはない。

 

 確かにこの世界は馬鹿みたいに広くて退屈だけど、自分の能力が上がるにつれて世界は脳の中で済むようになる。宇宙を描ける物理学者には頭が上がらない、今のところは。だからこそ「若いうちは世界の広さを知り、年老いていくにつれて世界の狭さを感じるべきだ」と、そう思う。