頭にこびりついた「承認欲求って怖いよね」という言葉
2016年9月13日。
ほぼひと月ぶりの更新になるか。昨日か一昨日から思うところあってTwitterみたいにこまめにやっていくタイプのインターネットを控えようと考えていたんだけど、そういう立場を取ってみるとやはりTwitterなどで目にする人間どものなんとひどく醜い承認欲求のことかよ。
「自分を認めて欲しい」これだけならまだわかる。集団の中で個性を見失わないためには(その必要があるかは別として)大事なことではあると思う。しかし”他人を貶めてでも”を付けている人間が少なからずいる。これは本当に怖いことだ。
去年「承認欲求って本当に怖いよね。人に与える影響とか害なんて考えないで自分のためだけにインターネットがあるとでも思っているかのような人がいるでしょ、もう本当に嫌になっちゃった」と話してくれた人がいた。今はもういない。
これを書いているだけでも悲しくなってくるほどみんなが醜いよ。どうして正気でいられるんだ。本当に人間どもはこれがまともな状態だと思っているんだろうか。無頓着なのか無知なのか無自覚なのかはおれにとってはどうでもいいしどうしようもないことだけれども、あまりにも酷すぎる。
ただ明るく振舞っている人間を見つけては粗探しをして貶めて、自分の場所が脅かされていると感じるからそういう攻撃的な行動に走るってのはわかるけど、そういう奴は自己評価が実際よりも高いから相応の扱いを受けてもないがしろにされていると感じてそういった行動に出るんだろうな。自惚れやがって。
自己評価が低すぎもせず、真っ当に生きようと必死になってた人たちに好きだと思うことが多々あったのに、そういう人たちはみんな自惚れたクソ野郎どもに潰されてしまった。
普段他人に認められないせいで溜まった欲求不満を他人を貶めてでも解消しようとするためにインターネットを使う人間がいる限り最終状態にあるインターネットは自惚れたクソ人間どもによる地獄絵図だ。人間が直視できる場所じゃないよ。おれももうダメかもしれない。