人間を叩きのめす

おれがクソ人間どもを叩きのめすまでに日々思ったことや考えたことをダラダラと綴る程度のブログ

人間を支配するという最大限の思いやり

 

2016年7月28日。

 

 人が人を大切にする為に何をしたらいいんだろう。

 人は皆それぞれ怒りや悲しみや喜びや何か偉大なる決意だったり、他にも色々なものを抱えて生きているだろうから、それをお互い傷つけあうことの無いように、自分が自分として生き抜くことが出来るようにと思って気高く高潔に、他人の尊厳を重んじて生活を送ろうと決めているんだけど、自分の思う通りにしたいがために他人を傷つける人もいる。

 おれはそこまで寛大になりきれてはいないから、そういう奴らを同じ人間扱いしていないし、そういう奴らって何か大きなことを掲げてそれを隠れ蓑に欲求を満たすから性質が悪い。自分たちは平気で動物の肉を食うくせにどの動物は知能が高いとか低いとかで殺していいかどうか判断して騒いでるだけで共感者から金を得る団体とか、尊厳ある死を認めろと叫んでそれを建前に人を傷つける奴とか。

 聞こえのいいことばっかり言って結局何もしない人間もクソッたれだと思う。おれ自身もそうかもしれんが。

 

 じゃあどうすればいいのかというと、「みんなで仲良くしましょう」つっても無理なんだったら押さえつけて無理やり根本から変えるしかない。「みんな違ってみんないい」って言うし、平坦化を好む日本ではむしろ突出した人間の突出した部分がもてはやされる時もあるけれど、個性を持つことに対する責任が全く考えられていないよね。

 全員が社会の一員として、生まれてから死ぬまで生きるというのなら、全員が協働して社会を築き上げられるように同じ教育を受けるべきだし、生まれた時点で親に教育を一任している時点で各自の背景にはばらつきが出るし、だから社会への参加はそれが必要か否かで各自が選択すべきことなのに、誰かが何かをやらかしたら「劣悪な家庭環境」「薬物・宗教への傾倒」「堕落した生活」みたいなその人の背景と全て彼らの自己責任であるみたいな風に取り上げてみたりしてさ、その背景のさらに背景にあるのは自分たちの利己心なんじゃあないのか?

 「自分の子は自分の手で育てたい」「自分の叶えられなかったことを子供に叶えて欲しい」なるほど立派な教育方針だが、しかしそれは子供を社会の一員と仕立てるのに必要もしくは十分なことか?他人の振りを見て似たようなことをやっていたらそれで社会に組み込まれてますみてえな顔しやがってよ。

 多様性を認めるというのは全体が失敗しない為には重要なことだし、「個を優先したいなら集団に入り込むな」なんて言わないけれど、なんのために集団が形成されるかを考えずに個の主張ばかりを繰り広げる人間を見ると、なぜこいつは人間社会の一員ですよみたいな顔して生きてるんだろうって考えてしまう。自分たちだけで勝手に生きて死ねよ。これはおれが持つ社会に対する最大限の思いやりだと思っている。

ブラックホール脱毛定理

 

2016年7月26日。

 

 ブラックホール脱毛定理。なんだこれは。ハゲ頭の人たちはびっくりして毛(腰ではなく!)を抜かしてしまうに違いない…。

 

 なぜ思考がこのブラックホール脱毛定理に及んだのかというと、複素関数論を勉強している時に「コーシーの境界」(?)とかいう単語が出てきて、Googleで検索したら全然出てこない。色々変えて検索してみてwikipediaでまず「ライスナー・ノルドシュトルム解」というアインシュタイン方程式の厳密解の一つでシュヴァルツシルトブラックホール電荷を持たせたブラックホールを表現している(?)解の項目に「この解には2つの地平面があり外面が事象の地平面で内面がコーシー地平面と呼ばれる」とあったのを見た。次にリンクを辿ってペンローズの宇宙検閲官仮説を読んでいたら「ブラックホール脱毛定理」とあってもう笑っちゃった。複素関数も面白いしね。

 

 ポケモンGoがレベル10になった。ただ図書館(ポケストップ(?)になっている)で引きこもって勉強しながらたまにクルクル回していただけなんだけどね。レアっぽいポケモンは全然でないし卵を孵化させるほど歩き回ってもいないしボールと卵がめちゃめちゃ溜まってしまっている。

 

 そういえば今朝指導教員と話していて今年度は少なくとも2回、おそらく3回は学会で発表することになりそう。院試があるからそんなに発表することないですよ~と言いつつ良い機会だからやらせていただきますと一応言っておいた。後半あまり飛ばし過ぎない程度の忙しさくらいでいいなあ。まだ自分を殺してるほど余裕は無いんだ。

何もかも壊してしまうのが手っ取り早いと思う

 

2016年7月。今日が何日で何曜日なのかはもう感覚がなくなってしまった。

 

 朝も夜も無くひたすらシャープペンを滑らせ、頭が働かなくなったらガラナでカフェインをぶち込み、そこから一瞬にして睡眠・起床のコンボを決め、その他一切の感覚を殺してでも机にかじりついている。

 しかし感覚を殺しているとは言うものの、いつまでも耳には謎のBGMがこびりついているし、視界を黒い影が通り過ぎたかと思えば全身がむず痒くなり、殺したはずの感覚がおれを苛ませる。

 

 休憩にとJOJOを読んでいたら、前は無意識にただのバトル漫画として読んでいたはずが、言いたいことが伝わってくるというべきか、自分の言いたかったことが書かれているというべきか、嫌悪を覚えるほどの人間の邪悪さ、人が生きようとする時の覚悟・良心、真実に辿り着こうとする人間の本質、そういった日頃考えて頭の中を廻っていた厄介なものが見事に登場人物の口から整然と出てきていることに気が付いた。

 

 しかしジョースターの一族が邪悪な人間たちをひとりひとりと潰していくのと、プッチ神父が世界を一巡させて人々を幸福に辿り着かせようとすることの何が違うのか。

 

 自分でもよく考えることの一つに、どれほどの悪を抱えた人間でさえもひとりひとり選んで消していくのは手間がかかるから、じゃあみんなまとめて不幸になるか幸福を得るかしたほうが単純だというものがあるが、人が人に対して持つべき良心を越えた、何か神的な人間社会全体への影響力を持った立場からの全体に対する良心というものもあると思う。

 

 まさにJOJO第6部は、プッチ神父の人間全体に対する普遍的な良心と、ジョースター家とその周囲の人が人に対して働かせる正義感のようなもののぶつかり合いだった。

 

 あとは行き着くところまで行ってしまえば破壊者も救世主にも違いは無いと思う。そのどちらが現れようと、我が身が可愛いやつは他人を犠牲にしてでも危機から逃れる道を選ぶし、他人を救おうとはせずに自分の為だけに縋るから。人間って、本当にきもいよね。まさに吐き気を催すほどの邪悪だよ。

時間、主に日付の捉え方と人間への支配に関する根源的欲求

 

2016年7月18日。

 

 タイトルに日付や年月を付さなくとも、どこかしらに記されているのであるから二重三重に手間をかけることもないと思ったのでやめることにした。

 

 生活リズムという面から見た時間に関して「夜○時以降の食事は身体に悪い」というものがあるが、電気に囲まれて暮らす人間の身体の何が朝と夜を区別しているのであろうか。日付というものは便宜上離散値を取らざるを得ないのであるが、そもそも時間というものが連続していることを考えると、生活リズムの異なる人間たちに対して「夜○時以降」と言うよりも、「起床から○○時間以降」「日光を浴びてから○時間以降」と言った方が、起点が同じになるのでより一般的であると思う。

 日付が変更になる時間帯はほとんど決まって起きているので、離散的なものとして扱われる日付にどうも馴染めていない感じがある。生まれてから既に20何年か経っているような気もするのに未だに慣れていない。

 

 あと書こうと思っていたのは「オタクが他人の頭を撫でようとすること」について。

 インターネットでは「オタクどもが女の子が頭を撫でられることに弱いとでも思っているのかしばしば頭を撫でようとする」というのをたまに目にするが、おれにも別の理由ではあるが老若男女問わず人間どもの頭を触ろうとする癖がある。

 一言で言えば「背景が見える」、少なからずだけど。頭がごつごつしていたり歪な人は成長過程において沢山何かしらが直撃した為だと思っているし、奔放に、もしくは殴ることさえ厭わずに育てられていそう。

 逆に頭頂が平らだとか幅が広い頭を持っている人は周囲からそれなりにしっかりと守られて生きてきたんだろうなと思う。

 あとはやっぱり人間の頭に手が触れているというのは単純に相手の全てを掌握しているような心地よさがある。もしくは動物を愛でる時の慈愛の心か。穏やかな心持には違いない。

 

 奇麗な髪の人にはあれこれ抜きで触り心地を試させて欲しくなるけどね。

20160717 - 背景

 

2016年7月17日。

 

 今日はiPhoneの背景画像を変更した。ここにも載せとく。

 購入してからずっと初期状態のままだったんだけど、この間Hubble Ultra Deep Fieldのことを知ってから、やっぱり毎日見るなら自分の好きなものを見たほうが良いよなと思って、「Hubble extreme deep field wallpaper」で検索したら、素敵なサイトが出てきました。

 「HubbleSite - Wallpaper

 どれもとても奇麗で、雑誌とかで見たようなことがあるものから初めて見るようなものまで沢山あるので一目で気に入ってしまった。

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このバタフライ星雲をロック画面に、

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このオリオン大星雲をホーム画面にしたんだけど、どちらも背景というよりはこれをメインにして見てしまうほど美しいものだと思う。

 

 奇麗過ぎて「背景って何だ?」と疑ってしまうね。

 背景というと、「宇宙マイクロ波背景放射」とか「Background music」と言うには惜しい程の音楽とか色々あるけど、主役級じゃん。背景ってなんなんだろうね。

 人の生きてきたこれまでとか、現在のその人の基に成っている部分をしてその人の「背景」と呼ぶこともあるけど、それってその人の全てじゃん。背景ってなんなんだろう。

 背景 - Wikipedia

 このWikipedia通りに、「主題以外を指すもの」として背景があるなら、自分自身が自分の人生の主題であるという自覚がないから、きっとおれには何らの背景も無いんだろうな。

 まあこんなことを考えたところで自分に何某かの背景が備わることは無いんだけどね。

20160716 - 物理学(物理)

 

2016年7月16日。

 

 今日はYouTubeを眺めたりそこら中に本を開いてあれこれと乱雑に読んでいた。ベッドの上とか、机の上とか、棚の上とか、プリンタの上とか、あちこちに開かれている本を部屋の中をうろうろするたびにペラペラと捲って読んでいる様は我ながら不振な挙動だと思う。注意力や集中力に欠陥があるわけでも多動症であるわけでもないと思うんだけどね。

 

 今日見た動画。

www.youtube.com

 ウォルター・H・G・ルーウィン教授というMITの面白物理学者の一人による物理学の講義の動画で、昨日読んだ『これが物理学だ!』という本が気に入ったから見てみたんだけど、アメリカ人はこういう講義が面白いと感じるんだろうか。

 

 まあこういう視覚的にも分かりやすい物理学(物理)みたいな体験をしてこなかった人は、学んできたことがここに来て初めて直観と結びつくわけだから、相応の感動を覚えるのだろうなとは思う。自分にとっては体感レベルで身に付いていたことだらけだったので感動は少なかったが、それでも無意味というわけでもない。特にタバコの煙でレイリー散乱を示すところなんかは面白かった。

 特にこの人の「君たちの全てが物理学者になるわけではないんだから、小難しい計算を沢山させるよりも身の回りの物理学を楽しむ方法を学んで欲しいと思っている」みたいな考え方は凄く好きだ。

 高校物理レベルでわかるはずのことですら直観的な体験を持たずに知識だけ持って楽しめずに過ごすのは本当にもったいないな。逆に贅沢だ。

20160711 - 蟋蟀

 

2016年7月11日。

 

 朝起きたら部屋に蟋蟀がいた。すばしっこくて何より形態が気持ちの悪い虫の一種であるのでなんとしてでも追い出したかったが、研究室に行かなくてはならなかったのでとりあえず小さな丸い口のゴミ箱を被せておいた。念のため上に本を何冊か乗せて逃げられないようにもした。

 

 帰宅して「ずっと閉じ込めてしまって申し訳ないな」と思いながらゴミ箱の上に乗せた本をどけ、ゴミ箱を被せたまま入口まで引きずった。

 ドアを開けてゴミ箱を退けると、なんと蟋蟀が外ではなくこちらを向いている!

 そんなこともあろうかとダンボールを一枚ゴミ箱と自分の間に壁として用意していたのだが、突然暗闇から開放された蟋蟀は縦横無尽に跳ね回る。もはやダンボールも越えられ何の意味も為さない。ドアの背面、ダンボール、壁に床におれの服にと跳ね回る蟋蟀。

 そしてほんの数秒の狂乱したかのような振る舞いを落ち着かせ床に留まる蟋蟀。何事も無かったかのようにそそくさと部屋から出て行った。

 飛び跳ねるために後脚が発達した虫が飛び跳ねることなくわさわさと這って行く様はなんとも気持ちの良いものではないな。

 

 Wikipediaによるとストレスを受けずに羽化した蟋蟀は飛翔能力を手に入れるそうだ。甘やかされやがって。