義務教育死ね!むしろおれが殺してやる!という気持ち。
2016年9月15日。
おれは心底義務教育を憎んでいる(憎むという言葉は強い言葉だけど、感情的になっているのではなく不完全な制度を押し付けるべきでないのでさっさと辞めてしまえという強い思いがあるだけで、教育水準を掲げるのは必要なことだと思う)。
被教育者である子供に教育を受けなくてはならない義務があり、教育者に教育を受けさせる義務がある以上、義務感のみに囚われて横暴を働いてしまわぬように被教育者に自治権を持たせなくてはならないと思っている。今はモンスターペアレントという人たちが過剰に働きかけすぎているのかもしれないが。
どうして誰も自分に与えられた有限の時間をより良く生きることに注意を払わないんだろう。他人の時間が有限であることに注意と敬意を払わないんだろう。まったくというほどでもないがそのせいで小中学校での9年間は本当に時間の無駄だったと後悔してもしきれない。子供がどれほど自分の時間を大切にしようと努めても義務教育で拘束され教師の自己満足を押し付けられるために神様かなにかに時間を与えられ、茶番をそうとは気付かずに教育ごっこをしている。
「うちの子は塾があるんです!学校の宿題なんてしてられません!」これこそが、子供が望んでいればだが「より良く生きる」ということに他ならない。親や教育者が道筋を示すことは本当に大切ではあるが、何が良いか悪いかを自らで判別する価値観を養い、制度に妄信的にならずに生きることができれば。(今そういう教育を受けている子たちは概して親に対して妄信的であるように思うが)
このままじゃあいつか、学校は気になる女の子や男の子とやり取りを交わし親密度を上げるための場以外の意味を失うだろう。ざまあみろ!
しかし義務教育という制度に目を瞑ればこの世の中からクソ人間どもを根絶やしにする最高の兵器は教育だと思っている。非破壊・非殺傷という優しさと良くも悪くもその後の人間を方向付けてしまう残酷さを兼ね備えていて良い。それ以上は何も言わないが。
あとは今日Twitterで見かけた「「違う選択肢を選んでいたら今とは違っていたのか」と思うと悔しさもあるが、やり直しても結局同じ選択をして今に至るだろう」ということ。
自分の場合選択肢がそもそもなかった親や周囲の環境、受けた教育に基づいた考え方が出来上がってしまっているので選択肢が選べるようになった段階でどれをどう選んでも今の自分に辿り着く。どうしても変えられないものだから神様の意思なんだろうなと思う。
他の人たちはそうではないんだろう。選択肢の数に応じて違った現在の可能性を持っていたはずで、きっとそれを選べることが自由意志というやつなんだと思う。後悔もあるかもしれないがこれからを大切にしてほしい。
明日は「オタクの時代は終わった」と言う人間がいるけれどそんなものはもうとっくの昔に終わり始めてたんじゃボケという話を書くような気がします。メモです。