人間を叩きのめす

おれがクソ人間どもを叩きのめすまでに日々思ったことや考えたことをダラダラと綴る程度のブログ

Jokerを見た

20191023 映画『Joker』を見た.と言ってももう二日前のことだが.

とりあえずJokerを見て思ったことを書いていく.大いにネタバレを含むと思う.

 

 まずJokerの感想などの前に自分がどういう視点で見ていたかというと,前情報としてはバットマンの敵であるジョーカーについての作品だということで『バットマン・ビギンズ』と『ダークナイト』を見た.『ダークナイトライジング』はまだ冒頭15分くらいしか見ていないが,ジョーカーが直接関わってることはないとのことなので視聴は後からでもいいだろう.それと後の感想に関わる気がするので書いておくが,自分の視点のひとつに「世の中は茶番でしかなくそれをいかに自分が楽しめるところに落とし込むか」という考えがあり今回はそこを刺激された気がしたのでそういった立場での思考であることに留意されたい.とりあえず『ダークナイト』に出てくるバットマンの敵としてのジョーカーをジョーカーとして書く.

 

 さて本編に関してだが,まず冒頭十分くらいは寝た.完全に記憶がないので寝ていたのだろう.予告が流れている時点で眠いとは思っていたがまさか本編を寝て飛ばすとは思っていなかった.とりあえず最初は主人公アーサーという人間が他の人間たちに虐げられるようにして生きていて,生き難さのようなものを感じやすい環境にいるということしかわからなかった.ここを映画『JOKER』における導入と見た.以降,導入,中盤,終盤に分けて書いていく.アーサーは自分なりに一生懸命生きているが,努力が報われているかというとそうではなく不器用で誤解されやすく生き難い人間であった.他人を喜ばせようとはするが何をやっても裏目に出,空回りし,うまく生きてゆくことのできない人間アーサーの物語.恐らく予告や他作品によるジョーカーへの先入観を持っている人間はこの導入部で「ああこういった環境から人格が歪みジョーカーという個性が完成するに至るんだろうな」と一旦浅い理解を抱かせるし,先入観の無い人間は最後までそういった理解をし続けるかもしれない.そう思ってこの導入部においては冒頭と中ほどの二回寝た.一週間睡眠時間が短くまばらだった上の徹夜明けにレイトショーなんて行くもんじゃない.

 

 そして中盤,何をやってもうまく行かないアーサーはコメディアンとして客がどういったものを求めているのかを冷静に分析しようとする.会話に下ネタを挟んだり少し不謹慎な事を言ったり,そういった小手先のことをおどけて言うことで他者を笑わせることができるんだと理解する.しかしやはり何をやってもうまく行かないアーサーはとうとう人を傷つけ始め自暴自棄と相まって何をやってもうまく行かず笑うしかないこの世こそが喜劇なんだと自分に言い聞かせるようにして消極的な喜劇を主張し始める.結局終盤に至るまでこの自暴自棄で消極的な喜劇気取りは続くわけだけど,それだけだと「一生懸命生きててもこうも報われなさが続くとまあこうなるよな」と思わせるし,アーサーの取る悪手がどれも実際に自分らが手を伸ばせば届くところにあるような選択肢ばかりでなまじ現実味があるだけに単純な自己投影に結び付けることはとても容易に思える.

 

 しかし終盤のアーサーはただ自暴自棄というわけではなく「この世は笑うしかない喜劇でしかないんだ」という消極的というか受動的な"考え方"から「この世が喜劇でしかないなら笑ってやろう」という積極的な"信念"めいたものへとシフトしていくことが見える.ここまでくるとその信念を振りかざすために自発的に大胆な行動に出始める.鉄道を混沌に落としたのは偶然の積み重ねだったがそれをおどけて見せることで自分の立場を表明し,マレーの番組に出ることで自称ジョーカーとして示威的な行動に出る.ただここでもまだアーサーはジョーカーを自称してはいるが"ジョーカー"足りえてはいない.

 ここで振り返りたいのはやはり『ダークナイト』の完成された純粋な狂気,秩序の破壊者であるところの"ジョーカー"で,信念という自己の内面にある秩序を振りかざすのは未だジョーカーではない."ジョーカー"は正義の味方の心を乱すだけでなく悪党の前で金を焼いて悪党さえも嘲笑する.それは信念に基づいた行動でもなんでもなくただ人が持っている狂気に向かう方向への力を後押しして,落ちていく人間を嘲笑うだけの単純な欲求に基づいた自由で短絡的な自分勝手の行動でしかない.恐怖を謳ったとしてもそれは相手を混沌に陥れるのに適したツールが恐怖だっただけでそれで相手を支配しようなんて考えはなく,混沌や狂気こそがこの世の支配者でそこに人間を向かわせることを純粋に楽しんでいる.

 またそこにある秩序を破壊するというのは漫談に下ネタや不謹慎を混ぜるようなことと同じで,喜劇や茶番にしかなり得ないこの世こそ秩序や信念を持つことは無駄で嘲笑うべきことであることに気付く.アーサーはいろいろと苦悩を抱えてはいたがシンとした教室でうんこ!と叫びだすようなことを規模を変えてやっていただけだ.

 

 ということでラストで「面白いことを思い付いたがお前には理解できないだろう」と嘯くアーサーのシーンは,世の中に対して主観的な「笑うしかない」でも「笑ってやろう」でもなく,人間に対して客観的な「狂気に満ちたこの世と向き合いあるがまま自由でいよう」という解釈に至ったのかなと思った.そこでようやくアーサーは"ジョーカー"になり始めたんだと思う.この物語はアーサーがジョーカーになる話ではなくアーサーが狂気に飲まれそれを理解しジョーカーの入り口にたどり着く話でしたということ.

 

 ちなみにおれは「人は思うがまま自由に生きるべきだ」と語りながらも自身の他者を煽動する能力を理解し世の中を混沌に陥れる,ガンスリンガーガールのテロリストであるジャコモ・ダンテとジョーカーはそっくりだなと感じました.おれの中にあるジャコモ・ダンテの人物像にジョーカーへの理解が引っ張られた感はあるが.

 

おわり

天気の子を見た

2019年9月1日

 

 今日は朝10時頃に目が覚めた.先週はずっと人前で立って話さなくてはならない機会が続きコミュニケーション力を使い果たしたため昨日はずっと寝ていたらしい.ここ数年でも珍しいくらい疲れ果てていたんだろう.

 

 それからだらだらとシャワーを浴び漫画を読んで証券口座をチェックし,昨日イレブンで買ってきたらしいポテトチップスの残りを食べながらYouTubeよゐこチャンネルを見ていたらあっという間に17時を過ぎていた.

 

 TwitterでフォロワーどもがNintendo Switch関連の話をしていたから久しぶりにやりたくなって弟に貸していたSwitchを返すか1万で買い取るかしろと迫ったら返すと言われた.2週間ほど前に帰省したところ貸している間に全てのアカウントのフォートナイトのプレイ時間が計1000時間をゆうに超えていた.おれは常々思うが中学や高校にただ通っているだけの間はゲームで無意味に時間を消費するよりも勉強に励むか人間のやり込め方でも学んでおいた方がいいんじゃなかろうか.まあ個人の幸福に口を出すのはおれの仕事ではないが.

 

 気づけば18時になっていたのでシャワーを浴びて学校に置き去りにしていた自転車を回収に行った.研究室に立ち寄ると後輩が一人共同研究の打合せ資料を作成していた.打合せの2日前にすることではないが…

 

 さて自転車を回収して丸亀製麺に向かった.毎月1日は釜揚げうどんが半額ということで学生の身分としてはありがたく利用させてもらっている.しかし長い行列ができているのを見るにこの街の人間はどうやら半額のうどんを相当楽しみに生きているようだ.こういうことを考えるといつも,昔婆さんに "他人の食事を気にするんじゃないよ,みっともない." と言われたのを思い出す.あとは父親に食事中にぺちゃくちゃ喋るなと怒られていたこともあり,未だに他人との食事の際になかなか会話を弾ませられなかったり相手の方を向くことに抵抗があったりする.つまらない男の完成だ.

 丸亀製麺ではそばに座っていたババアが箸入れから割り箸を取った拍子に手を滑らせて落としてしまい,なんとそれを元の箸入れに戻した挙句新しい箸を取っていた.次に使う人は床に落ちた箸を使うかもしれない.まあ死ぬことはないだろうが.

 

 それから映画館に行き天気の子を見た.映画館も毎月1日は割引をやっていて夜なのに結構人間が多かった.作品としては結構面白かったが,見ていく中でメタ的な感想が多く出てきた.おれたちは何年もかけて新海誠の性癖が矯正されていく様を見せつけられているのか?とか,これは言の葉の庭君の名は。を経ただけの星を追う子どもじゃないか...とか.おれは星を追う子どもという映画が割と好きなんだけど,ネットでは酷評されているらしい.でも天気の子も言ってしまえばファンタジー設定をマイルドにし東京に馴染ませただけじゃないのか?とも思う.特に目新しさもなかったわけだし.この映画を見るには事前に周辺情報を頭に入れすぎていたようだ.とにかく作品単体で見れば面白くまとまってはいたがこれまでの作品から見ると順当で目新しさもない一本でしたという感想でした.あと途中過去作品の登場人物を出してくるのは宮崎駿手塚治虫へのオマージュかもしれないが使い方があからさますぎる.

 

 ここまで書いたところでオロナミンCを飲み終えた.こんな時間に血糖値を上げていいのだろうか...おしまい.

インドのこととかその他いろいろ

2019年1月21日.

 

インドに来て2週間くらい経ちました.

前回の記事タイトルが「インド1日目」だったので次が「インド2日目」じゃないのは詐欺な気がする.

これを書いているうちに忘れそうなので書きたいことをメモっておく.

・インドの手続きの煩雑さ,その他インドの美味しいごはんや可愛い動物どもなどインドにおける生活のこと

・傍観者気取りのカス

・主張に関して

・ロックのこと

・自分のメタ認知のこと

どこまで書くかはわからんが.

 

 ・インドのこと

 インドではやたらと手続きが縦割りされていて同じ建物内でさえ何度も何度もぐるぐるぐるぐると人を訪ねてサインをもらい金を払い署名をし紙をもらい...とやたらと手続きが多く煩わしい.日本で3手で終わることがインドでは7手くらい必要で本当に待たされる.まあこうやって各人の仕事を明確に分割することで10億人以上いる人間どもに少しでも限られた仕事を分配しているのかなとも思って自分なりに納得はしているが.それにしても寮費を払うところでも病院でも通信回線の開通でさえ時間がかかった.しかしスマホのSIMに関していえば239ルピーを先に払えば28日間毎日1.4GBまで使えて電話番号も使えるという日本からしたら考えられないくらい破格の値段である.日本で数千円払って月に数GBで通信制限に達することを考えると月に300円ちょっとでトータル40GBくらい使えるというのは信じられない.とてつもない価格競争が行われているのか.まあ開通に2~3日かかったが...

 食事や動物に関してはTwitterに写真があるのでそれを見てほしい.

やさしい独裁政権🐈 (@Zagan_ver) | Twitter

 特にParathaというチャパティを何層にもして焼き上げたパンが本当に美味しかった.毎日カレーの類を食べているのに未だにヒィヒィ言っているがかなり慣れてきた気がする.動物に関してはブラックバックというかっこいい鹿の仲間みたいな動物と出会った.角がねじれていてとても幻想的な動物だけど,今のところバスの中からしか見られていないのでそのうち出会ったら近づいてみたいと思う.角に刺されたら大けがするだろうなあ.

 そして今まではいろいろなところで食べ歩いていたから安いインドと言えども一日800円くらいの金額は使っていたんだけど,学生食堂みたいなところの一か月カードをとうとう買ってしまった.これがあれば1日100ルピー(160円くらい)で3食,30日間食べ放題なので日本じゃありえないくらいの節約生活ができる.しかもインドではみんなお腹を壊しがちだけど学生食堂は栄養バランスがしっかり整っていて安全ということで至れり尽くせりである.というわけでこれから30日間毎日カレー生活が始まります...

 

・傍観者気取りの人間どもに関して

 最近色々なところで他人に言及する人間が多くてきもくなっちゃった話.例えば男女関係のこととかもそうだけど,大の大人である当人同士が了解しあって決めたことに安全な外側から口を出している人間ってなんなんだろう.誰がお前にご意見番を求めたんだ...あまりの厚かましさに気持ち悪いなと思ったというだけですが.まあ似たようなことにインターネットで特に多い「何かの問題点に言及している人間自体に言及する人間」というやつ.これを言ったらお前も言及している人間に言及しているじゃないかとそいつらに言われるんだけどここでの問題は「何かに言及している人間に言及する人間」なのでおれは「何かの問題点に言及している人間」です.なぜそういう本質的でない物事に足を取られていることをよしとしているんだろう.問題に対して言及している人間とは別の立場から問題に言及することこそが議論の始まりとして正しい.そうじゃなくて何かに言及している人間にその言及する態度とか立場とかの問題の本質とは全く関係ないところでお前はおかしいつって,問題の解釈とか解決とかを全くしていないにもかかわらずハイ論破みたいな雰囲気を出して満足げにしている.論理的に正しくてもその論理が今問題の本質的な部分に有効か?という判断を行う能力を失ってしまった可哀想な人間たち.論理的に正しいことが必要になるのは問題設定が行われてその問題に必要な論理の推定がなされてからなのにね.与えられた問題を解決していればよいみたいな生活を送ってきているのだろうか.それなら問題を見失っても仕方ないのかもしれないが.どうなんだろう.どうでもいいから関わらないでほしいなあ.そもそもTwitterみたいな140字で終わるところに問題の定義もクソもないので自分の立場をもって何かに言及している人間自体に言及するというそんなふわふわしたことやってんのマジで時間の無駄でしかないですよとは思うが,お前らがそうやって時間を浪費することはお前らの自由だしおれがそれに答えるかどうかはおれの自由だ.おれはTwitterでの他人の言葉の定義など全く理解せずすべてを理解したふりをして雰囲気でやっている.

 

・主張に関して

 これはおれの直観的なツイート

 に対するフォロワイの補足的なツイートがとてもわかりやすくありがたかったので引用しておく.

 そしてこれ

 主観を客観として誤認して主観を主張する人間.これが「XXは常識だろ」つって自己主張をするダサいやつ.前に言われてる「客観的に主張したいならデータが必要」ということの一番身近なデータがメタ認知であるということ.自分自身をメタ的視点から見てそれでいてなお自分を演じ切ることのできる人間は強い.おれの好きなギタリストである真島昌利とhideがちょうどこの最初に述べている好きな人間に当てはまる.「俺は俺の死を死にたい」自分の主観を主観として認識してなおその主観を貫かせてくれという主張.そしてhideのことを追いかけていくと頻繁に目にする「松本秀人がhideを演じている」というもの.その意識を持ち続けてステージに立ち続けたのは本当に凄い.ステージ上のカリスマ性って自分を神やその子と思い続けるくらいのナルシストか自分は神様でさえ演じ切るという徹底した意識がないと保ち続けるのは本当に難しいだろうなと思う.まあおれは人生でどんな問題があっても何もかも思い通りの結末に進むので,人類に与えられるべきだった分の神の愛も独り占めにしていますが.

 

・ロックのこと

 最近ずっとロックを聴いているんだけどロックってなに?おれにとっては感情を音楽に乗せてぶちまけているだけのものなんだけどみんなにとってはどう?何年代にどの地域で流行った何々の要素を取り入れたスタイルのことをロックと呼ぶみたいなWikipediaみたいなこと考えてる?さっきのカリスマ性と同じでおれは馬鹿でかいとかめちゃめちゃ繊細な感情をぶつけて人間の感情をどこまで奏者に同調させられるかがロックの価値だと思っている.これもやっぱりさっきの主観とか客観と同じで怒りとか悲しみとかそういう主観的な主張を直接ぶつけるのもいいし,おれみたいな馬鹿でかい支配欲を持った人間が曲を作るとしたら緻密に計算されていて人間の脳に一音一音ずつ正確に浸透していきアルバムが終わるころには放心しているくらいの曲があってもいい.こんな感じに人間の欲求で他人の感情を支配するものをおれはロックと呼んでいます.だから音の鳴り方とかだけでロックって言われてても全然意味の分からないものもたくさんあるんだけどね.何が違うんだろう.感情の波に逆らうとか逆らわないとかそういうところにあるのか?小奇麗にまとめた音なんてどれだけギターを鳴らしてもロックに聞こえないんだが.

 

書きたいことがたくさんあってどれも薄くなってしまったので自分のメタ認知のことはまた今度.

 

インド1日目

2019年1月7日

 

インドに来ました.

まあそんなことはどうでもよくて,人間が人間の上に立つこと,下から支えること,一歩先から引っ張ること,後押しすることについて最近の思考を適当に書きます.

 

人間が人間の上に立つということはみんなも直観的に理解ができるというか容易に想像しうることだと思うけど,何か偉大な権力を持った人間が同じ船に乗った人間どもの行く末を左右する船長の役割を担うということ.信頼関係があれば盤石なものかもしれないがその偉大な権力の源が何かによっては危なくもある.全員から信頼を得て上に立つのか恐怖で押さえつけて上に立つのかとか.大抵こういう"人の上に立つ"という典型的な例は恐怖で押さえつけた独裁政治と暗黒時代からの脱出を図った政権に現れることが多いと思う.人の上に立つというのは熱狂させる必要,カリスマ性というものも大切だよね.まあしかしいずれにしても人の上に立つような指導者は当人が死んだら大抵終わる.カリスマ性について書くと長くなるのでやめます.

 

じゃあ逆に人の下から支えるということはどうか.おれが普段思っているのは人の行く末を決めるほどおこがましい真似を人間がしていいわけがないということ.だからこそ指導者的立場の人間はほかの人間がより良く生きていくための基盤を底上げしてやるのが本来の役目で,それぞれの自由を最大限尊重しろというもの.でも実際人間が個人としてそこまで他人に尽くすという真似はできないのかしたくないのか,大抵の場合人間が集団になって一部の労力を提供することで社会基盤としているよね.みんな,国やっとるか?他人の幸福のみに貢献しつくせる人間が存在しないから国家という非人格のシステムがそれをやっているわけだけど,国家自体にモチベーションやビジョンがあるわけではないから,生まれた頃から勝手に組み込まれていると違う意見も出てきてしまうよね.幸福が何かという方向性が定まっていないというか.

社会に属すのは選択可能であるべきということについて書くのも長くなるのでやめました.

 

以上を踏まえておれが普段言っているやさしい独裁政権というのは,おれ個人の内にある,人間が持つ幸福に対する観念に自動的に向かうような仕組みのことです.おれが独裁者になるのが本命ではなくおれのビジョンが国家の仕組みになって続いていくということ.

まあおれのことはどうでもいいか.ここまでで言いたかったのは

・人の上に立つ指導者→今までにどこの国でも何度でもあった人間のやりがちな話

・人の下から支える仕組み→指導者として本来目指すべき姿勢

ということ.

 

次に人を前から引っ張っていくということ.これはリーダーシップとか言った方が分かりやすいかもしれない.一番いいリーダーシップの例は何だと思う?おれは最近知ったんだけど,トヨタウェイというものがあって,トヨタが心がけているというか常に持ち続けているビジョンのこと.内容は各自調べて.どの会社にも企業理念というものはあると思うけど,それはたいてい創業者とかが聞こえのいいことを言っているだけのことが割と多いよね.トヨタウェイはそうじゃなくて,それ自体が社員に持続可能な側に方向性を与えるビジョンでありながら,リーダーシップでもあるということ.これのいいところは非人格であるというところ.そして社員全体にリーダーシップを植え付けているところ.これによって創業者や経営陣が何人死のうとも社員は明確なビジョンに向かい続ける.ほかの企業だと経営陣が企業のかじ取りをし続けるのにトヨタだけはトヨタウェイが強力なリーダーシップを持って社員全体が自ずと同じ方向にかじを取れる.これこそ国家が持つべき非人格性の部分だと思う.国家が向かうべき方向はさっきも言っているようにリーダーシップを得る方向ではなく全員を幸福に向かせて下から支えることなのでトヨタに国家の経営を任せるとよいという単純な話ではもちろんない.

 

そして人を後押しするということ.無責任でいいよね.お前らみてえな腐った人間は順番に崖から突き落としてやる.後ろから押しておいて転んだ人間を助けないままそれはお前の自己責任だと言い放つことほど人間の非社会的な面はないと思っている.

 

はい飽きたのでここまで.人間に見せるべきビジョンには段階があるということとかも書こうと思ってたけどインドはカレーが美味しくてナンが無限に食べられる.最高!おしまい

自己の内面と向き合うということ

2018年10月21日

 

久しぶりに更新する.

2か月前まで4月だったんじゃないかというくらい一瞬で時間が過ぎた.

最近は全く見ないけど,以前は非常に長い時間を過ごす夢をよく見ていた.というか最近眠れてないな...

自分の人生以上の時間を夢の中で過ごしているような気がする.こうなると夢と現実のどっちが本当なんだろうね.

自分の内側に湧くものが本当なのか,外側が感じてきたものが本当なのか.

おれはどちらかというと内向的な人間だから,内側が本当であってほしいなあ.

よく内向的な人間と外向的な人間に関して,シャイな人間とコミュニケーション能力が高い人間を例に挙げられるけど,それは違うよね.きっと外向的と外交的が混同しているために反対の内向的な人間をシャイにしたがるんだろう.

物事の解答を自己の内面に求めるか外界に求めるかの違いだと思う.

辞書で調べると”興味や関心が自分の内部にばかり向かうさま”とある.

例えばおれが音楽を聴くときには曲の選び方が2種類あって,音で選ぶものと詩で選ぶものがある.

音で選ぶものは大抵EDMとかで,聴いてその瞬間に楽しめるもの.AviciiとかKrewellaとか.詩で選ぶものはどちらかというとその人が自己の内面と向き合って感情をしっかりと書き表したものを選ぶ.これはいろいろあって,かつての自分を見返して今どう思うかとか,現在の自分をもう一度見つめなおしているとか,世間に対するやりようのない感情,怒りとか悲しみとかたまに喜びとかをその人自身の言葉で描いたものが多いかな.

おれの大好きな,本当に大好きなhideはいつも自分自身をメタ視点から見たような詩を書いていたと思う.BOØWYの曲も割とあの時代に潰されてたまるかというような反骨精神みたいなものを感じるものがいくつかあるけど,その本当の良さは同じ時代を生きた人たちじゃないと完全には理解しえないんだろうなと思うとちょっと羨ましくも悲しくもある.

今,一言でいうと君を守りたいとかもっと自分を理解してくれみたいな歌詞ばっかり売れてるんじゃないかと思うけど,あまりにも外部に自分の存在を委ねすぎているように感じる.あとは歌詞にこちらに対する意味なんてなくてリズム感とか口当たりのいい言葉選びとかをしているのとかもよくある.その”君”が指すものが純粋だったころの自分自身とか,自分を理解してくれじゃなくて自分自身に対して第三者視点からもっとお前のことを理解したいという思いを綴ってほしい.

どんなに人間を守ってもそいつは結局他人だし価値観は人それぞれだし自分の崇高だったり純粋だったりまっすぐな精神以外は守っても檻で囲ってるのと大して変わらんと思う.まあ檻の中で偽物の自由と安全な不幸を嗜みながら基本的に安定した人生を幸福として死んでいくのを望む人間もいるしいいんじゃない.そいつらは家畜と変わらんと思うが.

 

まあこうやって自分の存在を他人に委ねることをぼろくそに言ったりもするし思っているけど,別に他人と交流するのが良くないと思っているわけではない.みんなでワイワイパーティしたりするのも楽しいし.ただやっぱりどうせなら自分自身というものをしっかり持った人と交流したい.

たまにインターネットに書かれたような偏見にまみれた人間と出会うとお前自身の意見は何なんだ?となる.大抵自分は標準であるということに安心感を覚えているのが本質で,普通は常識は世間はこうだからとしか言わないけど,その普通や常識や世間があるべき軸から外れているかどうかではなく,それらを軸として自分が外れていないのがあるべき姿であるように考えているんだろうか.

これもやっぱり自分の存在を何か絶対的な基準を設けてそこに委ねようという意志が透けて見える.まあ他人の生き方なんてやっぱりどうでもいいよな.生きて死ねとしか思わん.”俺は俺の死を死にたい”それでいいじゃん.お前の檻にこのおれを入れようとするなということ.

 

あと最後に一つ話は少し変わるけど,自分の考えたものややってきた物事なんかを他人からしっかり守ろうと思える人間じゃないと新しいものを生み出すのは向いてない.これは研究をやっていてよく思う.頑固もよくないけど.

 

もっといっぱい書けそうだけど飽きてきたのでこの辺で終わり.

テスト期間

 2017年9月08日.脳がバグっているので2019年7月22日の気分だったけど.

 

 この間ふと人生はテスト期間と同じだなと考えていたのでそれについて書く.

 テストって確信をもって答えを書いてもなんとなくで答えを書いてもテスト期間が終わって点数が付くときは他者がその正誤によってのみ無機質に点数をつけていく.

人生の答え合わせも自分一人で済むものじゃなくて,死んだときに「あいつはいいやつだった」とか「ようやくいなくなってくれてせいせいするよ」とか,いつかは他人の評価だけが生きることになる.

しかもやっぱりテストの採点にミスがあるように,歴史に名を残した人達の評価も当時はクソみたいな言われようだったのに後世では再評価されてるとかもあって,人間どもはずいぶんと勝手だなあと思わされる.

だからもしも他人からの評価を気にして生きているとすれば性懲りもなくテスト期間をやり続けているわけだ.

 

 まあ死んだ後の評価が怖くて独裁者になれるものかよと思うけど,大抵の人は独裁者になるわけじゃないからね.でもそこに選択肢があることに気付くかどうかで変わるものもある.

 

 相手に提示されている以外の自分が持っている選択肢に気付くことができるかどうかって意外とかなり大事だよなと最近よく考える.

逆に相手にわざといくつかの選択肢を最初に与えてそれ以外からの目を逸らさせるというのは,おれが自分に都合のいいように事を運ぼうと根回しをするときによくやることだけど.

相手は最初から与えられた選択肢の中から納得のいく方を選ぶだけで負担も少なく納得感もあり,おれ自身も自分に都合のいいように環境がどんどん変えられるから,二者間だけで見ればwin-winの関係が築きやすいし.

 

 きっと相手に与える選択肢の巧妙さはこの国で独裁者になるためには不可欠なんだろうな.少なからず世論操作が必要になる場面が来るかもしれないし.

 

なんとか今日中に書けた...

20170903_近況

 

 2017年9月3日.ドラえもんの誕生日だ.今日誕生日の人おめでとう.ついでに昨日の人も明日の人も.

 

はてなブログの編集画面ってこんなに見にくい感じったっけ.もう半年くらい何も書いてないから初めましての気分だ.

 

今年度に入ってからずっと何かしらで忙しくて夜は日課のWoTをやっているし,ブログを書く優先度がどんどん下がっている.

 

最近は実験中とかの脳をそれほど使わなくてもいい時間にYoutubeで動画を見たり機械音でうるさくなる実験室で爆音で音楽を流したりして何も考えずに身体を動かしたり,データを整理したり資料を作ったり論文を書いたりといった時間にフルで脳を働かせて最低限の自己管理というかパフォーマンスの管理をしているつもりだけど,人間の最低限とはそううまくいかずやたら眠くなったりお腹がすいたりと肉体に振り回されている.

 

実験中に見るYoutubeの動画は,最初はWoTの実況8割Warthunderの実況2割といったところだったんだけど,最近はPUBGが盛り上がっているらしくてそれを見たり,よゐこのマイクラ(クソ面白い)を見たりしていた.

 

まあ面白い物事はそうやってゲームをちょっとしたり動画を見たり日々それなりにあるからいいんだけど,研究とそれらの優先順位を高くに置きすぎているのかご飯を食べる時間が本当になくて毎日お腹がすいている.

 

誰か焼肉連れてってください

 

本もちょっとずつ読んだり論文もパラパラ読んだりしてはいるんだけどもう本当に何もかもやることが多すぎて考えただけで脳が終わりそう.一つづつやるだけなんだけど.

 

10月が終われば多少ゆっくりできるかもしれないのでそれに向けてまずはがんばります...

 

という生活面とは別に,今日はPUBGを買いました.近日中にWiiUが届きます(やるゲームがほとんどないのでスマブラを買ったりバーチャルコンソールで遊ぶと思う).Switchは店舗での抽選会に並んでる様子をちらっと見たんだけどありえんくらい人がいたので大人しく任天堂の追加販売を待って様子見です.10月くらいに買えるんだっけ?発売当初に買っておけばよかった.

 

悲しいことに今ゲームをやるくらいしか発散する場がない上にそれを現実逃避にしてしまっているのは非常によろしくない...