人間を叩きのめす

おれがクソ人間どもを叩きのめすまでに日々思ったことや考えたことをダラダラと綴る程度のブログ

Jokerを見た

20191023 映画『Joker』を見た.と言ってももう二日前のことだが.

とりあえずJokerを見て思ったことを書いていく.大いにネタバレを含むと思う.

 

 まずJokerの感想などの前に自分がどういう視点で見ていたかというと,前情報としてはバットマンの敵であるジョーカーについての作品だということで『バットマン・ビギンズ』と『ダークナイト』を見た.『ダークナイトライジング』はまだ冒頭15分くらいしか見ていないが,ジョーカーが直接関わってることはないとのことなので視聴は後からでもいいだろう.それと後の感想に関わる気がするので書いておくが,自分の視点のひとつに「世の中は茶番でしかなくそれをいかに自分が楽しめるところに落とし込むか」という考えがあり今回はそこを刺激された気がしたのでそういった立場での思考であることに留意されたい.とりあえず『ダークナイト』に出てくるバットマンの敵としてのジョーカーをジョーカーとして書く.

 

 さて本編に関してだが,まず冒頭十分くらいは寝た.完全に記憶がないので寝ていたのだろう.予告が流れている時点で眠いとは思っていたがまさか本編を寝て飛ばすとは思っていなかった.とりあえず最初は主人公アーサーという人間が他の人間たちに虐げられるようにして生きていて,生き難さのようなものを感じやすい環境にいるということしかわからなかった.ここを映画『JOKER』における導入と見た.以降,導入,中盤,終盤に分けて書いていく.アーサーは自分なりに一生懸命生きているが,努力が報われているかというとそうではなく不器用で誤解されやすく生き難い人間であった.他人を喜ばせようとはするが何をやっても裏目に出,空回りし,うまく生きてゆくことのできない人間アーサーの物語.恐らく予告や他作品によるジョーカーへの先入観を持っている人間はこの導入部で「ああこういった環境から人格が歪みジョーカーという個性が完成するに至るんだろうな」と一旦浅い理解を抱かせるし,先入観の無い人間は最後までそういった理解をし続けるかもしれない.そう思ってこの導入部においては冒頭と中ほどの二回寝た.一週間睡眠時間が短くまばらだった上の徹夜明けにレイトショーなんて行くもんじゃない.

 

 そして中盤,何をやってもうまく行かないアーサーはコメディアンとして客がどういったものを求めているのかを冷静に分析しようとする.会話に下ネタを挟んだり少し不謹慎な事を言ったり,そういった小手先のことをおどけて言うことで他者を笑わせることができるんだと理解する.しかしやはり何をやってもうまく行かないアーサーはとうとう人を傷つけ始め自暴自棄と相まって何をやってもうまく行かず笑うしかないこの世こそが喜劇なんだと自分に言い聞かせるようにして消極的な喜劇を主張し始める.結局終盤に至るまでこの自暴自棄で消極的な喜劇気取りは続くわけだけど,それだけだと「一生懸命生きててもこうも報われなさが続くとまあこうなるよな」と思わせるし,アーサーの取る悪手がどれも実際に自分らが手を伸ばせば届くところにあるような選択肢ばかりでなまじ現実味があるだけに単純な自己投影に結び付けることはとても容易に思える.

 

 しかし終盤のアーサーはただ自暴自棄というわけではなく「この世は笑うしかない喜劇でしかないんだ」という消極的というか受動的な"考え方"から「この世が喜劇でしかないなら笑ってやろう」という積極的な"信念"めいたものへとシフトしていくことが見える.ここまでくるとその信念を振りかざすために自発的に大胆な行動に出始める.鉄道を混沌に落としたのは偶然の積み重ねだったがそれをおどけて見せることで自分の立場を表明し,マレーの番組に出ることで自称ジョーカーとして示威的な行動に出る.ただここでもまだアーサーはジョーカーを自称してはいるが"ジョーカー"足りえてはいない.

 ここで振り返りたいのはやはり『ダークナイト』の完成された純粋な狂気,秩序の破壊者であるところの"ジョーカー"で,信念という自己の内面にある秩序を振りかざすのは未だジョーカーではない."ジョーカー"は正義の味方の心を乱すだけでなく悪党の前で金を焼いて悪党さえも嘲笑する.それは信念に基づいた行動でもなんでもなくただ人が持っている狂気に向かう方向への力を後押しして,落ちていく人間を嘲笑うだけの単純な欲求に基づいた自由で短絡的な自分勝手の行動でしかない.恐怖を謳ったとしてもそれは相手を混沌に陥れるのに適したツールが恐怖だっただけでそれで相手を支配しようなんて考えはなく,混沌や狂気こそがこの世の支配者でそこに人間を向かわせることを純粋に楽しんでいる.

 またそこにある秩序を破壊するというのは漫談に下ネタや不謹慎を混ぜるようなことと同じで,喜劇や茶番にしかなり得ないこの世こそ秩序や信念を持つことは無駄で嘲笑うべきことであることに気付く.アーサーはいろいろと苦悩を抱えてはいたがシンとした教室でうんこ!と叫びだすようなことを規模を変えてやっていただけだ.

 

 ということでラストで「面白いことを思い付いたがお前には理解できないだろう」と嘯くアーサーのシーンは,世の中に対して主観的な「笑うしかない」でも「笑ってやろう」でもなく,人間に対して客観的な「狂気に満ちたこの世と向き合いあるがまま自由でいよう」という解釈に至ったのかなと思った.そこでようやくアーサーは"ジョーカー"になり始めたんだと思う.この物語はアーサーがジョーカーになる話ではなくアーサーが狂気に飲まれそれを理解しジョーカーの入り口にたどり着く話でしたということ.

 

 ちなみにおれは「人は思うがまま自由に生きるべきだ」と語りながらも自身の他者を煽動する能力を理解し世の中を混沌に陥れる,ガンスリンガーガールのテロリストであるジャコモ・ダンテとジョーカーはそっくりだなと感じました.おれの中にあるジャコモ・ダンテの人物像にジョーカーへの理解が引っ張られた感はあるが.

 

おわり