人間を叩きのめす

おれがクソ人間どもを叩きのめすまでに日々思ったことや考えたことをダラダラと綴る程度のブログ

インドのこととかその他いろいろ

2019年1月21日.

 

インドに来て2週間くらい経ちました.

前回の記事タイトルが「インド1日目」だったので次が「インド2日目」じゃないのは詐欺な気がする.

これを書いているうちに忘れそうなので書きたいことをメモっておく.

・インドの手続きの煩雑さ,その他インドの美味しいごはんや可愛い動物どもなどインドにおける生活のこと

・傍観者気取りのカス

・主張に関して

・ロックのこと

・自分のメタ認知のこと

どこまで書くかはわからんが.

 

 ・インドのこと

 インドではやたらと手続きが縦割りされていて同じ建物内でさえ何度も何度もぐるぐるぐるぐると人を訪ねてサインをもらい金を払い署名をし紙をもらい...とやたらと手続きが多く煩わしい.日本で3手で終わることがインドでは7手くらい必要で本当に待たされる.まあこうやって各人の仕事を明確に分割することで10億人以上いる人間どもに少しでも限られた仕事を分配しているのかなとも思って自分なりに納得はしているが.それにしても寮費を払うところでも病院でも通信回線の開通でさえ時間がかかった.しかしスマホのSIMに関していえば239ルピーを先に払えば28日間毎日1.4GBまで使えて電話番号も使えるという日本からしたら考えられないくらい破格の値段である.日本で数千円払って月に数GBで通信制限に達することを考えると月に300円ちょっとでトータル40GBくらい使えるというのは信じられない.とてつもない価格競争が行われているのか.まあ開通に2~3日かかったが...

 食事や動物に関してはTwitterに写真があるのでそれを見てほしい.

やさしい独裁政権🐈 (@Zagan_ver) | Twitter

 特にParathaというチャパティを何層にもして焼き上げたパンが本当に美味しかった.毎日カレーの類を食べているのに未だにヒィヒィ言っているがかなり慣れてきた気がする.動物に関してはブラックバックというかっこいい鹿の仲間みたいな動物と出会った.角がねじれていてとても幻想的な動物だけど,今のところバスの中からしか見られていないのでそのうち出会ったら近づいてみたいと思う.角に刺されたら大けがするだろうなあ.

 そして今まではいろいろなところで食べ歩いていたから安いインドと言えども一日800円くらいの金額は使っていたんだけど,学生食堂みたいなところの一か月カードをとうとう買ってしまった.これがあれば1日100ルピー(160円くらい)で3食,30日間食べ放題なので日本じゃありえないくらいの節約生活ができる.しかもインドではみんなお腹を壊しがちだけど学生食堂は栄養バランスがしっかり整っていて安全ということで至れり尽くせりである.というわけでこれから30日間毎日カレー生活が始まります...

 

・傍観者気取りの人間どもに関して

 最近色々なところで他人に言及する人間が多くてきもくなっちゃった話.例えば男女関係のこととかもそうだけど,大の大人である当人同士が了解しあって決めたことに安全な外側から口を出している人間ってなんなんだろう.誰がお前にご意見番を求めたんだ...あまりの厚かましさに気持ち悪いなと思ったというだけですが.まあ似たようなことにインターネットで特に多い「何かの問題点に言及している人間自体に言及する人間」というやつ.これを言ったらお前も言及している人間に言及しているじゃないかとそいつらに言われるんだけどここでの問題は「何かに言及している人間に言及する人間」なのでおれは「何かの問題点に言及している人間」です.なぜそういう本質的でない物事に足を取られていることをよしとしているんだろう.問題に対して言及している人間とは別の立場から問題に言及することこそが議論の始まりとして正しい.そうじゃなくて何かに言及している人間にその言及する態度とか立場とかの問題の本質とは全く関係ないところでお前はおかしいつって,問題の解釈とか解決とかを全くしていないにもかかわらずハイ論破みたいな雰囲気を出して満足げにしている.論理的に正しくてもその論理が今問題の本質的な部分に有効か?という判断を行う能力を失ってしまった可哀想な人間たち.論理的に正しいことが必要になるのは問題設定が行われてその問題に必要な論理の推定がなされてからなのにね.与えられた問題を解決していればよいみたいな生活を送ってきているのだろうか.それなら問題を見失っても仕方ないのかもしれないが.どうなんだろう.どうでもいいから関わらないでほしいなあ.そもそもTwitterみたいな140字で終わるところに問題の定義もクソもないので自分の立場をもって何かに言及している人間自体に言及するというそんなふわふわしたことやってんのマジで時間の無駄でしかないですよとは思うが,お前らがそうやって時間を浪費することはお前らの自由だしおれがそれに答えるかどうかはおれの自由だ.おれはTwitterでの他人の言葉の定義など全く理解せずすべてを理解したふりをして雰囲気でやっている.

 

・主張に関して

 これはおれの直観的なツイート

 に対するフォロワイの補足的なツイートがとてもわかりやすくありがたかったので引用しておく.

 そしてこれ

 主観を客観として誤認して主観を主張する人間.これが「XXは常識だろ」つって自己主張をするダサいやつ.前に言われてる「客観的に主張したいならデータが必要」ということの一番身近なデータがメタ認知であるということ.自分自身をメタ的視点から見てそれでいてなお自分を演じ切ることのできる人間は強い.おれの好きなギタリストである真島昌利とhideがちょうどこの最初に述べている好きな人間に当てはまる.「俺は俺の死を死にたい」自分の主観を主観として認識してなおその主観を貫かせてくれという主張.そしてhideのことを追いかけていくと頻繁に目にする「松本秀人がhideを演じている」というもの.その意識を持ち続けてステージに立ち続けたのは本当に凄い.ステージ上のカリスマ性って自分を神やその子と思い続けるくらいのナルシストか自分は神様でさえ演じ切るという徹底した意識がないと保ち続けるのは本当に難しいだろうなと思う.まあおれは人生でどんな問題があっても何もかも思い通りの結末に進むので,人類に与えられるべきだった分の神の愛も独り占めにしていますが.

 

・ロックのこと

 最近ずっとロックを聴いているんだけどロックってなに?おれにとっては感情を音楽に乗せてぶちまけているだけのものなんだけどみんなにとってはどう?何年代にどの地域で流行った何々の要素を取り入れたスタイルのことをロックと呼ぶみたいなWikipediaみたいなこと考えてる?さっきのカリスマ性と同じでおれは馬鹿でかいとかめちゃめちゃ繊細な感情をぶつけて人間の感情をどこまで奏者に同調させられるかがロックの価値だと思っている.これもやっぱりさっきの主観とか客観と同じで怒りとか悲しみとかそういう主観的な主張を直接ぶつけるのもいいし,おれみたいな馬鹿でかい支配欲を持った人間が曲を作るとしたら緻密に計算されていて人間の脳に一音一音ずつ正確に浸透していきアルバムが終わるころには放心しているくらいの曲があってもいい.こんな感じに人間の欲求で他人の感情を支配するものをおれはロックと呼んでいます.だから音の鳴り方とかだけでロックって言われてても全然意味の分からないものもたくさんあるんだけどね.何が違うんだろう.感情の波に逆らうとか逆らわないとかそういうところにあるのか?小奇麗にまとめた音なんてどれだけギターを鳴らしてもロックに聞こえないんだが.

 

書きたいことがたくさんあってどれも薄くなってしまったので自分のメタ認知のことはまた今度.