人間を叩きのめす

おれがクソ人間どもを叩きのめすまでに日々思ったことや考えたことをダラダラと綴る程度のブログ

インド1日目

2019年1月7日

 

インドに来ました.

まあそんなことはどうでもよくて,人間が人間の上に立つこと,下から支えること,一歩先から引っ張ること,後押しすることについて最近の思考を適当に書きます.

 

人間が人間の上に立つということはみんなも直観的に理解ができるというか容易に想像しうることだと思うけど,何か偉大な権力を持った人間が同じ船に乗った人間どもの行く末を左右する船長の役割を担うということ.信頼関係があれば盤石なものかもしれないがその偉大な権力の源が何かによっては危なくもある.全員から信頼を得て上に立つのか恐怖で押さえつけて上に立つのかとか.大抵こういう"人の上に立つ"という典型的な例は恐怖で押さえつけた独裁政治と暗黒時代からの脱出を図った政権に現れることが多いと思う.人の上に立つというのは熱狂させる必要,カリスマ性というものも大切だよね.まあしかしいずれにしても人の上に立つような指導者は当人が死んだら大抵終わる.カリスマ性について書くと長くなるのでやめます.

 

じゃあ逆に人の下から支えるということはどうか.おれが普段思っているのは人の行く末を決めるほどおこがましい真似を人間がしていいわけがないということ.だからこそ指導者的立場の人間はほかの人間がより良く生きていくための基盤を底上げしてやるのが本来の役目で,それぞれの自由を最大限尊重しろというもの.でも実際人間が個人としてそこまで他人に尽くすという真似はできないのかしたくないのか,大抵の場合人間が集団になって一部の労力を提供することで社会基盤としているよね.みんな,国やっとるか?他人の幸福のみに貢献しつくせる人間が存在しないから国家という非人格のシステムがそれをやっているわけだけど,国家自体にモチベーションやビジョンがあるわけではないから,生まれた頃から勝手に組み込まれていると違う意見も出てきてしまうよね.幸福が何かという方向性が定まっていないというか.

社会に属すのは選択可能であるべきということについて書くのも長くなるのでやめました.

 

以上を踏まえておれが普段言っているやさしい独裁政権というのは,おれ個人の内にある,人間が持つ幸福に対する観念に自動的に向かうような仕組みのことです.おれが独裁者になるのが本命ではなくおれのビジョンが国家の仕組みになって続いていくということ.

まあおれのことはどうでもいいか.ここまでで言いたかったのは

・人の上に立つ指導者→今までにどこの国でも何度でもあった人間のやりがちな話

・人の下から支える仕組み→指導者として本来目指すべき姿勢

ということ.

 

次に人を前から引っ張っていくということ.これはリーダーシップとか言った方が分かりやすいかもしれない.一番いいリーダーシップの例は何だと思う?おれは最近知ったんだけど,トヨタウェイというものがあって,トヨタが心がけているというか常に持ち続けているビジョンのこと.内容は各自調べて.どの会社にも企業理念というものはあると思うけど,それはたいてい創業者とかが聞こえのいいことを言っているだけのことが割と多いよね.トヨタウェイはそうじゃなくて,それ自体が社員に持続可能な側に方向性を与えるビジョンでありながら,リーダーシップでもあるということ.これのいいところは非人格であるというところ.そして社員全体にリーダーシップを植え付けているところ.これによって創業者や経営陣が何人死のうとも社員は明確なビジョンに向かい続ける.ほかの企業だと経営陣が企業のかじ取りをし続けるのにトヨタだけはトヨタウェイが強力なリーダーシップを持って社員全体が自ずと同じ方向にかじを取れる.これこそ国家が持つべき非人格性の部分だと思う.国家が向かうべき方向はさっきも言っているようにリーダーシップを得る方向ではなく全員を幸福に向かせて下から支えることなのでトヨタに国家の経営を任せるとよいという単純な話ではもちろんない.

 

そして人を後押しするということ.無責任でいいよね.お前らみてえな腐った人間は順番に崖から突き落としてやる.後ろから押しておいて転んだ人間を助けないままそれはお前の自己責任だと言い放つことほど人間の非社会的な面はないと思っている.

 

はい飽きたのでここまで.人間に見せるべきビジョンには段階があるということとかも書こうと思ってたけどインドはカレーが美味しくてナンが無限に食べられる.最高!おしまい