テスト期間
2017年9月08日.脳がバグっているので2019年7月22日の気分だったけど.
この間ふと人生はテスト期間と同じだなと考えていたのでそれについて書く.
テストって確信をもって答えを書いてもなんとなくで答えを書いてもテスト期間が終わって点数が付くときは他者がその正誤によってのみ無機質に点数をつけていく.
人生の答え合わせも自分一人で済むものじゃなくて,死んだときに「あいつはいいやつだった」とか「ようやくいなくなってくれてせいせいするよ」とか,いつかは他人の評価だけが生きることになる.
しかもやっぱりテストの採点にミスがあるように,歴史に名を残した人達の評価も当時はクソみたいな言われようだったのに後世では再評価されてるとかもあって,人間どもはずいぶんと勝手だなあと思わされる.
だからもしも他人からの評価を気にして生きているとすれば性懲りもなくテスト期間をやり続けているわけだ.
まあ死んだ後の評価が怖くて独裁者になれるものかよと思うけど,大抵の人は独裁者になるわけじゃないからね.でもそこに選択肢があることに気付くかどうかで変わるものもある.
相手に提示されている以外の自分が持っている選択肢に気付くことができるかどうかって意外とかなり大事だよなと最近よく考える.
逆に相手にわざといくつかの選択肢を最初に与えてそれ以外からの目を逸らさせるというのは,おれが自分に都合のいいように事を運ぼうと根回しをするときによくやることだけど.
相手は最初から与えられた選択肢の中から納得のいく方を選ぶだけで負担も少なく納得感もあり,おれ自身も自分に都合のいいように環境がどんどん変えられるから,二者間だけで見ればwin-winの関係が築きやすいし.
きっと相手に与える選択肢の巧妙さはこの国で独裁者になるためには不可欠なんだろうな.少なからず世論操作が必要になる場面が来るかもしれないし.
なんとか今日中に書けた...