人間を叩きのめす

おれがクソ人間どもを叩きのめすまでに日々思ったことや考えたことをダラダラと綴る程度のブログ

現実を見ろゴミどもが

 

2016年8月4日。

 

 今日はたくさんブログに書こうかなと思える物事を思いついたんだけど、どの題材を選んだところで書いていたらどうにもまとまりきらなくなる。「世界は厳しいね」という意識を持とうとする人間たちのこととか、恐怖を感じる人間がそれを乗り越えるために一番いいのはどういうことかとか、都合のいい人間どもに社会という集団内で生きる意味があるのかとか、インターネットには第n次現実が溢れて「真実」と呼べるものが殆ど無くまさに「この世界はすべて嘘だ」が本当なんじゃないかとか、いろいろ思ったんだけどね。いろいろ思いついちゃった日は結局まとまらないままどれも思考がどんどん進んで行って宙ぶらりんになってしまう。

 

 もう「最近」と呼べるほど最近の話ではなくなってしまったんだけど、情報を媒介するツールとしてテレビ、ラジオ、新聞紙、インターネットがあるとして、テレビで流行った話題が他で取り上げられたり、インターネットで流行った動画がテレビで流されたりしていくと、二度目に同じ情報を見たときに得られる情報量が0なわけだからその分時間を無駄にしたことになる。

 それと同じで、Twitter2ch、動画サイト、まとめスレだと、情報が重複しすぎて第二次現実どころか三次、四次…となって行く。

 ここでおれが言っている第n次現実というのは、一次が自分の実体験、二次が自分が本やテレビその他の情報を媒介するもので見聞きした誰かの体験、三次以降がいわゆる「友達がそのまた友達から聞いた話なんだけどさ…」という「又聞き」に相当する。まあ二次以降はどれも実体験以外の情報によって構成される現実だからすべて第二次現実と言ってもいいだろうけど。今や各情報媒体はその誰かの「第二次現実」をいかにして自分が創るかで競い合っているよね。

 人々が第一次現実から全てを得るには時間的にも物質的にも限界がある。だから情報媒体から情報を得て頭の中に世界をもう一つ創ることでそこを補うわけだけど、情報媒体がその第二次現実の提供で財を成そうとすると、世の中に溢れかえった情報で第二次現実を構成してしまう人間も出てくるよね。簡単に言っちゃえば「お前それインターネットに書いてあったことじゃんもっとお前にしかない話をしろよ」ってことになる。

 インターネットは手軽に情報を得られるけどその分情報量が著しく低いんだ、本や新聞はまだマシなんだけどテレビは最近インターネットに近くなってきている。コメンテーターがいる分まだマシかと思っても、当たり障りのないことを言って世間の同調を狙ってたりするといなくてもいいよねって思う。第一次現実に比べて第二次現実の規模が圧倒的に大きく、かつ第二次現実が第一次現実とある程度リンクしていない人間と喋るのは時間の無駄かな。例えば芸能人の噂話なんか集めてあなたの人生のどこに好影響をもたらすの?

 

 まあ人間に合理性を求めるという非合理的なことをやるつもりもないよ。感情もないし。