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人間を叩きのめす

おれがクソ人間どもを叩きのめすまでに日々思ったことや考えたことをダラダラと綴る程度のブログ

何もかも壊してしまうのが手っ取り早いと思う

 

2016年7月。今日が何日で何曜日なのかはもう感覚がなくなってしまった。

 

 朝も夜も無くひたすらシャープペンを滑らせ、頭が働かなくなったらガラナでカフェインをぶち込み、そこから一瞬にして睡眠・起床のコンボを決め、その他一切の感覚を殺してでも机にかじりついている。

 しかし感覚を殺しているとは言うものの、いつまでも耳には謎のBGMがこびりついているし、視界を黒い影が通り過ぎたかと思えば全身がむず痒くなり、殺したはずの感覚がおれを苛ませる。

 

 休憩にとJOJOを読んでいたら、前は無意識にただのバトル漫画として読んでいたはずが、言いたいことが伝わってくるというべきか、自分の言いたかったことが書かれているというべきか、嫌悪を覚えるほどの人間の邪悪さ、人が生きようとする時の覚悟・良心、真実に辿り着こうとする人間の本質、そういった日頃考えて頭の中を廻っていた厄介なものが見事に登場人物の口から整然と出てきていることに気が付いた。

 

 しかしジョースターの一族が邪悪な人間たちをひとりひとりと潰していくのと、プッチ神父が世界を一巡させて人々を幸福に辿り着かせようとすることの何が違うのか。

 

 自分でもよく考えることの一つに、どれほどの悪を抱えた人間でさえもひとりひとり選んで消していくのは手間がかかるから、じゃあみんなまとめて不幸になるか幸福を得るかしたほうが単純だというものがあるが、人が人に対して持つべき良心を越えた、何か神的な人間社会全体への影響力を持った立場からの全体に対する良心というものもあると思う。

 

 まさにJOJO第6部は、プッチ神父の人間全体に対する普遍的な良心と、ジョースター家とその周囲の人が人に対して働かせる正義感のようなもののぶつかり合いだった。

 

 あとは行き着くところまで行ってしまえば破壊者も救世主にも違いは無いと思う。そのどちらが現れようと、我が身が可愛いやつは他人を犠牲にしてでも危機から逃れる道を選ぶし、他人を救おうとはせずに自分の為だけに縋るから。人間って、本当にきもいよね。まさに吐き気を催すほどの邪悪だよ。