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人間を叩きのめす

おれがクソ人間どもを叩きのめすまでに日々思ったことや考えたことをダラダラと綴る程度のブログ

20160624 - 梅雨・共感

 

2016年6月24日。

 

 今日は酷い雨だ。一日中頭が痛い。

 

 今日とあと土日で材料力学の復習をやり終えるつもりでいるんだけど、無謀が過ぎると言えるほど猛スピードだ。勉強以外のあれこれに足を取られてスケジュール管理がし切れていないせいでここまで酷くなるとは。不安しか感じない。

 

 Twitterには書ききれないだろうと思ってやめた、他人と共感が発生する時の条件についての自らの経験に基づく考察をここに記しておきます。(ここで言う共感とはある物事に対して他人と同じ感想を得るということではなくある瞬間において他人と思考が被るという意味合いを持っていると考えてください)

 まず何と言ってもその共感する概念を共有していること、これは非常に影響が大きい。Aさんがaという概念に思い至った時、Bさんもaに思い至るにはその概念を知っていなくてはならない。そうでなければ様々な思考回路をめぐってaに至る道筋を描きaを生み出さなくてはいけないから、それは瞬時に共感が起こるのを妨げる。

 そして次に同じ経験などによって思考回路が共通していること。これは先述の場合とは異なり同じdという概念は持っていなくともAさんもBさんもa→b→cという回路を持っていて、その当然の帰結としてc→dが導けるのであればdという概念を共有している必要はない。

 

 今までの経験したパターンから言うと圧倒的に後者の場合が多く、何か新しい物事を提案しようという時によく起こった。そして同じ学校に通い同じ授業を受け同じくらいの成績を取ってきた人なんかで起こる頻度が高かったように思える。

 あとは共感する対象がお互いにとって表面的か内面的(より自分の根幹に近い)かで起こりやすさが変わる。表面的というか短絡的、短期的と言ったほうがいいのかもしれないけど、人間と接しているとどうも思考が擦り合わされて似通ってくることがあって、そういうときにはより一般的に辿り着ける答えであればあるほど答えが同じになりやすい。逆に自分の根幹を成しているような思考はどうしても他人とは似かよらない部分があって、これはおれが人間や社会をひっくり返してやろうとすることと同じようなことを考えていそうな人がいるのに、その動機や理由までは異なっていることと似ているかもしれない。

 

 まあ他にもいくつかあるけどこんなことを考えていても何にもならないね。きっとこういうのを専門に取り扱っている人間もいるだろうし。

 何者にもなれないまま終わるのは嫌だなあ。