人間を叩きのめす

おれがクソ人間どもを叩きのめすまでに日々思ったことや考えたことをダラダラと綴る程度のブログ

社会の歯車

2016年11月28日。  

 久しぶりに頭の中をまとめたくなるほど様々に考えが湧いたので以下に記す。 


 まずはじめに。 


  今日読んだ記事の一つに"工場勤務17歳女性が「風俗嬢」を希望する理由"(http://toyokeizai.net/articles/amp/146680)というのがあって、そこからどんどんと湧いてきた考えを書こうと思う。 
  

 結論から言うとこの国はもう引き返せないところまで来てしまったということ。上の記事の見出しを見て、そんなことはないぜと若い女性に喜ぶ風俗利用者の男性諸君もいるのかもしれないが、それは個人の感情なのでおれの知ったことではない。 
 

 ではどうしてその結論に至ったのか、ということについては3つの要因があって、まず1つ目は"高校以降への進学率の増加"、2つ目は"恋愛経験のない男性の割合の増加"、3つ目に"資本主義に脳をやられた人間ども"を考えて欲しい。 


  1つ目の進学率の増加。これは学校基本調査などのデータ(http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/Pdfdl.do?sinfid=000002039634)を見てもらえればわかるが確実に増加している。そして次に見てもらいたいのが学費の増加(http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shinkou/07021403/__icsFiles/afieldfile/2015/12/25/1365662_03.pdf)で、こちらも進学率と同様に増加している。そしてもう一つ見てもらいたいのが世帯年収の推移(http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/dl/20-21-h25.pdf)で、近年は減少傾向にある。 例えば20年前と比べると、進学率が20%程度増加しているのに対し、学費は10万円程度増加し、世帯年収がおよそ120万円減少している。これでは十分な学習環境が整えられているかは疑わしい。特に学校というのは、世間では「学校で学んだことなんて何の役にも立たないよ」と言われる場面をよく見かけるが、なにも学んでいない人間の増加こそがこの国の産業の崩壊に他ならないと思う。産業を守る人間を育てないで、この資源に乏しい国が存続すると思っている人間がいるとは思えないし、みんな見ないふりしているだけなんじゃあないのか。それに、誰もがお金を無駄にする為に進学するなんて冗談でも笑えない話だ。 

 次に恋愛経験のない男性の割合の増加。というかその上性産業を利用する男性の割合の増加。性風俗産業は年々増加傾向にあり(https://www.npa.go.jp/safetylife/hoan/h27_fuzoku_jihan.pdf : 特に図14など)、恋愛経験がない男性でも性的な欲求のみであれば、それを満たす場を容易に確保し得る状況にある。そのため先ほどの1つ目の要因と関連して、進学したいが金に困る女性は性産業で自分を売り、世に溢れた男どもはそれを買う。日常では得られない快感を買うために、自分の時間当たりの給料よりも高い金を性的なサービスに注ぎ込む。"ものづくり大国"なんて自称してはいるけれど、支払う金額の大きさが社会通念上の価値だとすると、国を支えるものづくりよりも欲求の解消の方が価値が高いことになってしまう。このまま産業が衰退していって最後に残るのは人間どもの解消しきれなくなった欲求だけか。 特に現在よく観測できる事象として、SNSなどに客を非難する情報を垂れ流す風俗嬢の多いことが挙げられるが、これは明らかに風俗店を利用する男性が供給過多になり、女性側にとって"ここで切っても代わりがまた金を落としにくる"という状況が成立していることを示していると思う。女性からすれば回転寿司を金を貰って食べているようなもので、TANSTAAFLの精神に則れば何かしら裏があるのだが、ここで言うところの裏は社会の崩壊だろう。好きなネタだけを食べていたらそいつらはいつか絶滅する。

   3つ目の資本主義に脳をやられた人間ども。これは前の2つからも分かる通りに、とりあえず金を無駄にして学歴を手にし稼いだ金を欲求のためだけに費やす男性と、金を手にするために自らを売り出しグルメな自分を気取ってる女性との生活の乖離が、そのまま社会の基盤であった男女の結びつきによる世代交代の流れを断ち切っていく。大量消費社会に自分をも消費するような人間は社会の一員ではなく消費される"もの"としての自覚を持った方がいいのではないだろうか。

 社会の一員としての自覚を持つにしても、全員とは言わずとも誰もが自分の欲求に突き動かされすぎじゃあないのか。この国が何の目的を持って国家であろうとするのかの部分が全くないだろう。

 こうして自ら社会をぶち壊していることに目を背けていても誰も見ないふりをして、社会の一員を気取ってるお前らの姿を見るたびに、いい加減つまらない大学生みたいな茶番はやめろと思う。個人が社会の行く末に対する責任を負う必要は全くないとは思うけど、その"個人"が1億人くらい集まって同じことをしてるんだからタチが悪い。その責任は全員で取ってもらうしかないだろうな。

この国の仕組みというか歯車の部分がどんどんと狂ってる。政権がどうとか主義がどうとかの話じゃなくてもっと前、お前ら人間ども全員の意識からの話。毎日が充実しない人間はどこで歯車が狂ったんだろうと思うだろう。順風満帆な生活をしている人間はどこも狂っていないと思うだろう。そういう人間同士の齟齬でさえも気付いた頃には手遅れなほどに拡がっているぞ。

 次の社会では、欲求や衝動に突き動かされないまま"社会とはこうあるべきだ"という確固とした価値観を持ったポストヒューマンが人間どもを支配することを祈るよ。この社会は失敗だった。

燃え上がるインターネット

2016年11月23日。 
 今日は勤労感謝の日で多くの人が休日だったのだろうと思う。勤労自体に感謝するよりもここまで生きてこられたことに感謝できる世の中になって欲しいとは思うけど。

カナダのマニトバ大学による調査に基づく、インターネットでの炎上に関しての「炎上を起こす人は全体の0.47%である」という内容の記事を読んだ。マニトバ、シロイルカがいたりオーロラが見られたりと一度は行ってみたいところだと思う。
この記事ではネットで他人を炎上させる人間の持つ4つの性質について述べられ、それぞれ他人を騙そうとする性質、過剰な自己愛、共感能力の不足、嗜虐的な性質のことをまとめて"ダークテトラッド"と呼んでいる。

 インターネットでサイコパス診断が流行るなどして自分のサイコパス度が高いと自慢げに見せびらかす人間がある程度いるが、無駄な炎上案件に関わらないためにも見かけたら即ブロックするなどしておくのがいいと思う。
 おれ自身もここ半年くらいの間に「炎上はする人間よりも最初にさせようとした人間側に問題があることも多いのではないか」という考えが生まれていて、もちろん火種を作った原因が自分側にあるのだとしてもそれを成長させないためにも近づいてくる人間は締め出しておいたほうが良い。よく平静を装った応対をして「常識的な大人の対応をしてますけど?」みたいにやり過ごそうとする人間もいるが、別に裁判をしているわけでもないんだから詳細な釈明をする必要もなく、黙ってブロックしてしまえと思う。冷静に考えているふりをしているからそんなことにも気がつかないのか。馬鹿め
特に何かの組織等を代表するアカウントだと大衆の声を自分たちの利益に反映するためにできる限りの声を拾っておきたいという考えもあるのかもしれないが、逆に言えば自分たちの利益にならないことにまで付き合う必要はないのではないだろうか。賢者は多くを語らないというけれど、あまりにも大衆に向けて語りすぎることが利益にならないことをわかっていないのかな。情報社会という割にはテクノロジーばかりが進歩して人間の情報に対する価値観がいつまでも変わらないでいるような気がする。

おれは最近はTwitter上で炎上させた方もした方もブロックしまくってるし、そのうえ大量にリツイートされてるツイートへのリプライ欄にいる人間もことごとくブロックしている。

承認欲求に飲み込まれて他人を傷つけるような良心のないゴミどもは嫌だね、絶対にそいつらが生きられない世界にしよう。自分が大切に思う人たちのためにも。

お仕事


2016年11月10日。


最近お仕事で先輩社員に「は?それなんの意味があるんですか」「それ時間の無駄ですよね」「いや、できないものはできないですよ、出来たらノーベル賞取れるんじゃないですか?だったらご自分でやってみてくださいよ」「根拠もない思いつきならわざわざやって時間をかける必要なくないですか?」などとクソ生意気な口をきいたりもしているがなんとか上手くお仕事している。


思い返してみるとこれが研究系の仕事でなければトンカチでぶん殴られてるレベルの振る舞いかもしれんな。議論をしていると言葉遣いよりも口から出しやすさを重視してしまって育ちが悪いのが透けて見られてしまう。


しかしいざお仕事をしてみるとやっぱり時間の進む早さが途轍もないと感じる。帰ってきてもなにもやることもなく気付けば1週間1ヶ月と過ぎていってしまう。労働なんてもうごめんだぜと思うが人間どもは資本主義社会の奴隷として今日も働いているのかと思うとやりきれない気持ちにもなるよ。


資本主義社会の奴隷のくせに効率を求めようというおれに反対意見を述べるのは僅かながらに残された自己主張か?


早く人間どもから考える能力をなくして幸せにしてやらなきゃな。


iPhoneから送信


2016年10月22日。

 ちょうど1ヶ月ぶりの更新になる。今はインターネット環境がないのでiPhoneからこの記事を書いている。早くなにか用意せねば。


 書いている途中で「公開する」ボタンに指が当たってしまい途中送信されてしまった。ワンタッチで送信できる分手順を2段階にしてくれないと誤送信が防げない、人間は間違うものだからこそ不親切な仕様だと思う。何もかも自己責任とされる世の中ではいくら唱えても無駄だけれど。


生活環境がガラリと変わってから少し落ち着いてきた。先日は誕生日も迎え順調に歳をとっている。


今は今までやってきたこととは切り口を変えた研究に手を出し始めた。これがまた非常に面白い。とても大変だけれども。守秘義務があるので何も言えないが、やはり面白い研究をしているときはおれの研究ってこんなに面白いんだぜ!と誰かに言いたくなる。


ではゲオで借りた映画の返却期限が明日なのでぶっ続けで見なくては。おやすみなさい。明日は本屋に行こう


オタクの時代どころか日本の文化がことごとく終わり始めている気がする。

 

2016年9月16日。

 

 こうして日付を書き込んでいる瞬間はいつも「もうこんな…」と悲しい気持ちになるが、今日は缶ジュースでも飲みながらブログを書こうと思い至って自販機でジュースを買ったらもう一本当たった。わーい

 

 昨日「オタクの時代は終わった」というけれどそんなものはもうとっくの昔に終わり始めてたんじゃみたいなことを書こうかな~と書いたような気がするので書こうと思います。有言実行できるタイプなので。嘘だけど。

 

 みんなアニメ映画を見るにあたって普段自分たちとは違う立ち位置にいるいわゆる「リア充」みたいな人達が非常に多く同じアニメ映画を見ているというあたりでオタクのある種閉鎖的だった空間がなくなってしまったと嘆いているのかな。上手に言えるほどなにか立派な語彙がないな...「オタクコンテンツのリア充化」か?

 そもそも昔から度々多少の人気作品が「社会現象」として取沙汰されて日の目を見てきたわけだけど、それとは別に人は年を経るごとに個性を保つハードルが上がって行って何もしていないとどんどん個性を失っていくっていうのがあると思っていて、そうした人たちでも入り込んで安心感を得られるのがオタクコンテンツであり、ある種の閉鎖的な空間だったと思う。

 だから居場所が欲しいけど社会の椅子取りゲームには勝てそうもない人が、度々取り上げられるオタクの世界や自由に物事を楽しむオタクを見て「ああなんだ、あそこは椅子が無限にあるじゃないか」と群がってくる。元からいたオタクは自分たちの好きなものを好きなように楽しんでいただけだから外からやってきた「個性を守ろうとする椅子取りゲームのプレイヤー」と自分たちの見分けがつかない。彼らが自分たちに何をもたらすかも知らないでアニメの信者が増えたと喜ぶ。人が集まればまたさらに「社会現象」として注目を浴びる。

 そうやって二種類の人が混在しきったのがよくわかるのが「ラブライバー」だったと思う。あんなに身体中にグッズをじゃらんじゃらんと着飾って、あれはどう見てもアニメへの共感や賛同などではなく自らの個性の主張に見える。ラブライブであんなにわかりやすくオタク文化が開けた空間になっていることがわかるんだから、おそらくそれより少し以前にはもうオタクの時代は終わってしまっていたんだろう。

 「人それぞれ個性があってそれを大切にしなくてはならない」と幼いころから言われ、しかし出る杭はどんどん叩かれて行って立派なもののみが残るようになっている社会なのに、いつまでも個性を守ることに憑りつかれた人間たちを解放する手段が示されていないから、どこまでも世界を食いつぶしてでも自分たちの領域を確保しようとする。アニメみたいなわかりやすいオタク文化だけじゃなくて音楽でも小説でも映画やテレビ番組でさえあらゆる分野で同じことが起こっているように感じる。みんながイナゴの大群のようにあちらこちらを一瞬のうちに消費していって後には何も残らなくなりお金だけが移動し続けるいまのシステムは本当に気味が悪い。

 

 「オタクの時代は終わった」と言うが、もっと言ってしまえば日本の文化はもう終わり始めているんじゃないだろうか。