社会の歯車
燃え上がるインターネット
お仕事
2016年11月10日。
最近お仕事で先輩社員に「は?それなんの意味があるんですか」「それ時間の無駄ですよね」「いや、できないものはできないですよ、出来たらノーベル賞取れるんじゃないですか?だったらご自分でやってみてくださいよ」「根拠もない思いつきならわざわざやって時間をかける必要なくないですか?」などとクソ生意気な口をきいたりもしているがなんとか上手くお仕事している。
思い返してみるとこれが研究系の仕事でなければトンカチでぶん殴られてるレベルの振る舞いかもしれんな。議論をしていると言葉遣いよりも口から出しやすさを重視してしまって育ちが悪いのが透けて見られてしまう。
しかしいざお仕事をしてみるとやっぱり時間の進む早さが途轍もないと感じる。帰ってきてもなにもやることもなく気付けば1週間1ヶ月と過ぎていってしまう。労働なんてもうごめんだぜと思うが人間どもは資本主義社会の奴隷として今日も働いているのかと思うとやりきれない気持ちにもなるよ。
資本主義社会の奴隷のくせに効率を求めようというおれに反対意見を述べるのは僅かながらに残された自己主張か?
早く人間どもから考える能力をなくして幸せにしてやらなきゃな。
iPhoneから送信
2016年10月22日。
ちょうど1ヶ月ぶりの更新になる。今はインターネット環境がないのでiPhoneからこの記事を書いている。早くなにか用意せねば。
書いている途中で「公開する」ボタンに指が当たってしまい途中送信されてしまった。ワンタッチで送信できる分手順を2段階にしてくれないと誤送信が防げない、人間は間違うものだからこそ不親切な仕様だと思う。何もかも自己責任とされる世の中ではいくら唱えても無駄だけれど。
生活環境がガラリと変わってから少し落ち着いてきた。先日は誕生日も迎え順調に歳をとっている。
今は今までやってきたこととは切り口を変えた研究に手を出し始めた。これがまた非常に面白い。とても大変だけれども。守秘義務があるので何も言えないが、やはり面白い研究をしているときはおれの研究ってこんなに面白いんだぜ!と誰かに言いたくなる。
ではゲオで借りた映画の返却期限が明日なのでぶっ続けで見なくては。おやすみなさい。明日は本屋に行こう
無題
2016年9月22日。
前に更新してからまた時間が空いてしまった。誰も気にすることでもないけど。
無能なので人生のバランスが取れなくなってきた。
オタクの時代どころか日本の文化がことごとく終わり始めている気がする。
2016年9月16日。
こうして日付を書き込んでいる瞬間はいつも「もうこんな…」と悲しい気持ちになるが、今日は缶ジュースでも飲みながらブログを書こうと思い至って自販機でジュースを買ったらもう一本当たった。わーい
昨日「オタクの時代は終わった」というけれどそんなものはもうとっくの昔に終わり始めてたんじゃみたいなことを書こうかな~と書いたような気がするので書こうと思います。有言実行できるタイプなので。嘘だけど。
みんなアニメ映画を見るにあたって普段自分たちとは違う立ち位置にいるいわゆる「リア充」みたいな人達が非常に多く同じアニメ映画を見ているというあたりでオタクのある種閉鎖的だった空間がなくなってしまったと嘆いているのかな。上手に言えるほどなにか立派な語彙がないな...「オタクコンテンツのリア充化」か?
そもそも昔から度々多少の人気作品が「社会現象」として取沙汰されて日の目を見てきたわけだけど、それとは別に人は年を経るごとに個性を保つハードルが上がって行って何もしていないとどんどん個性を失っていくっていうのがあると思っていて、そうした人たちでも入り込んで安心感を得られるのがオタクコンテンツであり、ある種の閉鎖的な空間だったと思う。
だから居場所が欲しいけど社会の椅子取りゲームには勝てそうもない人が、度々取り上げられるオタクの世界や自由に物事を楽しむオタクを見て「ああなんだ、あそこは椅子が無限にあるじゃないか」と群がってくる。元からいたオタクは自分たちの好きなものを好きなように楽しんでいただけだから外からやってきた「個性を守ろうとする椅子取りゲームのプレイヤー」と自分たちの見分けがつかない。彼らが自分たちに何をもたらすかも知らないでアニメの信者が増えたと喜ぶ。人が集まればまたさらに「社会現象」として注目を浴びる。
そうやって二種類の人が混在しきったのがよくわかるのが「ラブライバー」だったと思う。あんなに身体中にグッズをじゃらんじゃらんと着飾って、あれはどう見てもアニメへの共感や賛同などではなく自らの個性の主張に見える。ラブライブであんなにわかりやすくオタク文化が開けた空間になっていることがわかるんだから、おそらくそれより少し以前にはもうオタクの時代は終わってしまっていたんだろう。
「人それぞれ個性があってそれを大切にしなくてはならない」と幼いころから言われ、しかし出る杭はどんどん叩かれて行って立派なもののみが残るようになっている社会なのに、いつまでも個性を守ることに憑りつかれた人間たちを解放する手段が示されていないから、どこまでも世界を食いつぶしてでも自分たちの領域を確保しようとする。アニメみたいなわかりやすいオタク文化だけじゃなくて音楽でも小説でも映画やテレビ番組でさえあらゆる分野で同じことが起こっているように感じる。みんながイナゴの大群のようにあちらこちらを一瞬のうちに消費していって後には何も残らなくなりお金だけが移動し続けるいまのシステムは本当に気味が悪い。
「オタクの時代は終わった」と言うが、もっと言ってしまえば日本の文化はもう終わり始めているんじゃないだろうか。