人間を叩きのめす

おれがクソ人間どもを叩きのめすまでに日々思ったことや考えたことをダラダラと綴る程度のブログ

20160716 - 物理学(物理)

 

2016年7月16日。

 

 今日はYouTubeを眺めたりそこら中に本を開いてあれこれと乱雑に読んでいた。ベッドの上とか、机の上とか、棚の上とか、プリンタの上とか、あちこちに開かれている本を部屋の中をうろうろするたびにペラペラと捲って読んでいる様は我ながら不振な挙動だと思う。注意力や集中力に欠陥があるわけでも多動症であるわけでもないと思うんだけどね。

 

 今日見た動画。

www.youtube.com

 ウォルター・H・G・ルーウィン教授というMITの面白物理学者の一人による物理学の講義の動画で、昨日読んだ『これが物理学だ!』という本が気に入ったから見てみたんだけど、アメリカ人はこういう講義が面白いと感じるんだろうか。

 

 まあこういう視覚的にも分かりやすい物理学(物理)みたいな体験をしてこなかった人は、学んできたことがここに来て初めて直観と結びつくわけだから、相応の感動を覚えるのだろうなとは思う。自分にとっては体感レベルで身に付いていたことだらけだったので感動は少なかったが、それでも無意味というわけでもない。特にタバコの煙でレイリー散乱を示すところなんかは面白かった。

 特にこの人の「君たちの全てが物理学者になるわけではないんだから、小難しい計算を沢山させるよりも身の回りの物理学を楽しむ方法を学んで欲しいと思っている」みたいな考え方は凄く好きだ。

 高校物理レベルでわかるはずのことですら直観的な体験を持たずに知識だけ持って楽しめずに過ごすのは本当にもったいないな。逆に贅沢だ。

20160711 - 蟋蟀

 

2016年7月11日。

 

 朝起きたら部屋に蟋蟀がいた。すばしっこくて何より形態が気持ちの悪い虫の一種であるのでなんとしてでも追い出したかったが、研究室に行かなくてはならなかったのでとりあえず小さな丸い口のゴミ箱を被せておいた。念のため上に本を何冊か乗せて逃げられないようにもした。

 

 帰宅して「ずっと閉じ込めてしまって申し訳ないな」と思いながらゴミ箱の上に乗せた本をどけ、ゴミ箱を被せたまま入口まで引きずった。

 ドアを開けてゴミ箱を退けると、なんと蟋蟀が外ではなくこちらを向いている!

 そんなこともあろうかとダンボールを一枚ゴミ箱と自分の間に壁として用意していたのだが、突然暗闇から開放された蟋蟀は縦横無尽に跳ね回る。もはやダンボールも越えられ何の意味も為さない。ドアの背面、ダンボール、壁に床におれの服にと跳ね回る蟋蟀。

 そしてほんの数秒の狂乱したかのような振る舞いを落ち着かせ床に留まる蟋蟀。何事も無かったかのようにそそくさと部屋から出て行った。

 飛び跳ねるために後脚が発達した虫が飛び跳ねることなくわさわさと這って行く様はなんとも気持ちの良いものではないな。

 

 Wikipediaによるとストレスを受けずに羽化した蟋蟀は飛翔能力を手に入れるそうだ。甘やかされやがって。

20160710 - 球

 

2016年7月10日。

 

 おれはとうとう智の境地に達したぞ!沢山勉強します。

 

 柔道の三船久蔵十段曰く「柔道の真髄は球である。球というのは倒そうとしても決して倒れず中心の位置を変えることなく動きそのものに無駄がなく無抵抗である」という。

 柔道ではこの「球」であることを意識して相手の力の流れを受け入れその流れを変えてやるだけで軽々と相手をぶん投げているとかそういう感じなのかな。よくわからんけど。

 

 そこで球というものから思い至ったのが勉強のスタイル。みんな小学生くらいのときはそれほど苦手科目と得意科目に差がなかったと思うんだけど、それでも得意と苦手を意識し始めてからは全体的に育ってきた知識が偏り始める。そこからきっと中高生くらいでの文系・理系の選択に繋がるんだろうなと思ったんだけど、それって早すぎじゃないか。

 おれは得意科目がない代わりに苦手科目もこれと言ってないし、化学などは勉強が足りてないなと思うけど理解できないほど苦手でもないから、どの科目もかけた時間の違いでしかないと思ってる。もしかしたら全部の知識が身につくまではどれが苦手とか自覚できないんじゃないかなとまで思っている。

 

 小さな頃から全体的に丸く育ててきた知識を、得意なところだけ伸ばして不恰好にするのは、中高生がするには早すぎる選択なんじゃないかなという、そういう話。金平糖みたいになったら可愛いけどね。やっぱり球のイメージに付きまとう完全さには敵わない。

 

 最近ブログ書いて無かったから書きたいと思うことがあと4つほどあるよ。忘れなければそのうち書こう。

20160706 - 腕時計・win10

 

2016年7月6日。

 

 今日はAmazonで腕時計が最大70%以上OFFになっていたので眺めていた。1万円くらいのでいいから一つ買おうかなって。最近あまりお金がないけど。あと7/12日プライムデー、何が安くなるんだろう。去年はたいして欲しいものがなかったけどちょっと気になってる。

 

 あとは今までWindows10のアップグレードのお知らせがいつまでもこないしデバイスに対応していないのかと思って半ば諦めていたんだけど、このたび起動時にアップグレードしましょうと出てきてくれたのですることにした。今アップグレード中なんだけどwin7 Ultimateからだったら自動的にwin10 proになるのかな。せっかくUltimateにしたのにHomeになってたら最悪だ。

 

 じゃあ勉強とかしなきゃならないから、今日はこれでおしまい。

20160705 - 声

 

2016年7月5日。

 

 今日は色々なことがあって疲れた、こうして日々疲れていく分人生が前向きになるといいのだけど。

 

 今日インターネットで本を読むときに頭の中で「声」が聞こえる人と聞こえない人がいることが判明 - GIGAZINEというやつを見てはじめて考えに至ったんだけど、みんなは自分の声が内なる声として聞こえているのかな?おれはいつも登場人物が勝手に話すしナレーションもその論調にあわせた声音で勝手に話すので物語を読むというよりは本を開きながら聞くという感じで、だからこそアニメ化やドラマ化されて声が当てられると「ここの台詞の感情と声が一致していないんじゃないか」とよく思うんだけど、みんなが言うアニメ化の際の「このキャラに声があっていない」っていうのは同じ感覚なのかな。ちょっと気になる。

 

 あと声といえば「電話では直接相手の声を聞いているのではなく、何通りかある声の中で一番相手に近いものが選ばれている」っていうのを稀によく聞くんだけど、それって音声をディジタル処理しているってことではなくて、本当に登録されている何通りかの声の中から相手に近い声を選んでいるのかな?だとしたらものすごい処理速度だ。おれはただディジタル化されてるだけだと思うけどね。それを他人の声というのならCDで聞く有名ミュージシャンの声だってサンプリング周波数に違いがあるというだけで他人の声じゃないか。こういうのは別の問題なのか??

 

 何が本当かどうかは分からないからちゃんと勉強して真理を見抜く目を持ちたい。まあそう言うと「少しくらい周りに流されて生きるのも楽しいものだよ」と盲目が怠惰だと思わない人間に筋違いなことを言われるんだけど。

20160702 -

 

2016年7月2日。

 

 今日は郵便局に行こうと思っていたんだけどダラダラしてしまった。明日こそ行こう。

 天気のいい日はお昼寝するに限るね。毎日してるけど。

 

 1日24時間分以上生きるためにいくらか物事を並列処理した方がいいだろうと思っているんだけど、今は電車やバスに乗る機会などもないから隙間時間を有効に使うってことがなかなか出来なくて、やろうとすること全部が消費した時間に直結してしまっている。出来ていることといえば寝ている間にも問題を考えることとシャワー中に問題を考えることくらいか。後は研究でコンピュータに解析をさせている間は他の勉強をしているくらい。

 

 明日からはもう少し生き急いでみよう。これ以上他に何が出来るかな。

 

20160701 -

 

2016年7月1日。

 

 もう7月だ、まずい、非常にまずい。いよいよ今年のラストスパートといった感じがする。

 

 今日は書かなきゃいけない書類がいくつかあったのでそれらを処理したり研究室に行ったりなんやかんやしていた。もう少し書類が残っているので仮眠を取って書き上げよう。今日はほとんど全く勉強ができなかった。

 

 勉強のモチベーションを保つために表紙がアメコミチックになっているノートを買った。可愛い。

 

 やることやっちゃって明日は念入りに部屋の片付けでもしよう。晴れるといいな。